きれいごとでいいのです!
石井竜也
11.10.23 10:35
「なんだよ、カッコつけちゃってさ!」とか「そんなん、できるワケねえじゃん!」とか「だったら、自分でやってみろよ!」とか「あんなん言っちゃってさ!」とか「だいたい、ご立派な事言ったって、何にも出来ねえじゃん!」とか「何マジ入ってんだよ!解ってんだよ、そんなこと!」とか「ザケンジャネエヨ!オマエに言われたくねえんだよ!」と・・・・まあ、言わせれば、人間、こういう人も少なくない。だけど、本当にこんな言葉で逃げ続けられるでしょうか?この時代に生きている以上、この時代に対する、責任は皆平等にあるはず。次に世代への事も考えるのは当然!こういう時代こそ、我々は、社会に対し、毅然と、もしくは真摯に向き合って行かなくてはならないのではないでしょうか?『神風』を賞賛はいたしません。でも、なんとか、『国』しいては親、兄弟、家族、子供、友人、そして、国民と兵隊としての誇り、を守りたいと、当時思った人々を、無視する訳にはいかないでしょう?靖国へは一度も参拝した事はありません。ただし、8月15日は、原宿駅の向こうの橋の上から、手を合わせています。それが僕にとっての距離感です。他の国からの意見でそうしている訳ではありません。自分自身の納得の問題です。この時代、人類の大きな変換期だと思って間違いないでしょう。カダフィが狙撃され、殺されました。その遺体の写真や動画が、世界を飛んでいます。万民を圧政に次ぐ圧政で苦しめた厄介者かもしれませんが、そこまでする必要があるのでしょうか?ジョブスがアップルを残して死んで行きました。彼の作り上げたバーチャルで、即効性のある情報発信と取得。デジタル化した世界の変貌は、目を見張る物があります。一方で、手を下すより残酷な一面もあり、危険度は、ピストル並みです。引き金を引くか、引かないかは、個人にゆだねられ、自分の命は他人の気持ち一つにかかってしまう。これが、子供達の感性にどう影響して行くのか、全く解らない。つまりは、「生き方のジャンル」が増えたとも言えるのでしょう。時代の変遷期にさしかかった、人類は、生き残れるのでしょうか?恐竜の隆盛を極めた1億5千万年も、たった一個の隕石で絶滅したと言われています。すぐさまそういう奇抜な事は起こらないにしても、新型の凄い勢力のウィルスだけでも、蔓延すれば、それで、絶滅してしまうほど、命は、きわどいのです。だから、こういう極端な時代には、落ち着きと、冷静な目が必要なのです。助け合ったり、奇麗な物を奇麗と、正直に認めたり、現実を、直視するだけではなく、もう一方の方向からも見てみる。物の見方は、決して一つではないから、あらゆる可能性や、自分の生きている足下を確かめる。そして、そこを中心にまずは、時代を見つめてみる・・・・これって、本当に大切な事だと思います。