1700万本との格闘。
石井竜也
11.11.08 00:29
キリンビール仙台工場、3・11、午後2時46分、ここを、震度8クラスの地震と、数メーターの津波が襲いかかった。500トンを貯蔵するタンク3本と、1700万本のビールが水泡に帰した。被災地のど真ん中、湾に面した工場付近は、壊滅状態。光景を翌日見た、全社員が、「・・・おわりか・・・」と、心の中でつぶやいていたという。唖然とも呆然とも形容のしがたい、その光景は、まさしくカタストロフの世界。破壊以外の言葉が見つからなかった。まだ寒い、東北の3月中旬。その戦いは始まった。「とにかく、ここを、早く復興させるよう、出来るだけの事をやってみよう!」涙で、目が腫れ上がっていた従業員達が、ひとつひとつ、ビール缶を、拾い始めた、電気もガスもない真っ暗な中で、夜通し、拾い集めるビール缶と、瓶、錯乱するジョッキ用の相当重い樽。ガラスの破片と、ビール缶の海だ。拾っても、拾っても、いっこうに、出口が見えない。3ヶ月が経つ頃、ようやく開けた土地が見えてきた。「希望」だ。続ければ、何とかなる、全員に光が見えだした。狂ったように拾い集める、作業は、結局8ヶ月の時間を要した。倒れてしまった貯蔵施設を、改築し修理、そして、冬に備えてのビール作りが始まった。9月には、ようやく軌道に乗り出していたのに気がつく400人の従業員。それぞれに、家族や知人、友人等を、気にかけながらのあまりにもキツい重労働。・・・でも、今の仙台工場には、「瓶のカケラ」一つ見つける事が出来ない。恐るべき人間の力、恐るべき執念と情熱。彼らをそこまでさせたものとは一体なんだったんだろう? 僕は、プライドと、集中する事で、辛い事も、何もかも、一瞬でも忘れられる、そして、この復興が仙台の復興に力をつけるに違いないという、正義感。これしか思い浮かばない。11月、無事、初絞りのビールが出荷されていった。『奇跡』は、『努力』からでしか、生まれない事を、この工場の人々が教えてくれた。日本が置かれた状況は、確かに、厳しい。でも、あきらめるのは簡単な事。どんなに辛くとも、1個1個積み上げていけば、いつかは、平地が見えてくる。放射能の場合でも、時間は気の遠くなるほど掛かるかもしれないが、やって出来ない事ではない。いや、やってみせようじゃないか!日本人の凄さ・勤勉さ・勇気・底力を、改めて、感じさせて頂いた、コンサートでした。みんなで、その初絞りのビールでコンサート終了後、カンパイしました。その時の言葉は「日本にカンパイ!!」苦境を乗り越えた人間だけが、言える、自分の国への敬意が見えた瞬間だった。(・・・政治家もくればよかったんだ。そうすれば、簡単にTPPなんて言えないはずだ)あの涙でグチャグチャになった、年齢もバラバラな全員が、喜び合っている表情は、人間の最高の姿だと素直に思えた。そして、やっぱり、歌は人の心を、こんなにも、揺さぶる事が出来るんだという、自分自身への勇気にもなった。ありがとう、東北、ありがとうビール工場の皆さん。あなたがたは、出来っこない事を、やってのけた。そこに、一つもこれ見よがしな態度なんか、見えなかった。日本はイケル!!まだまだ発展出来ると、そう思えた。