未来の顔
石井竜也
11.11.19 16:38
某番組のため、俺自身が通っていた小学校に、テレビの収録で行ってきました。生徒達は変わりなく、俺と同じように引っ込み思案で、なかなか言葉に出すまでが時間がかかる。そんな故郷の風土に順調に染まっていました。6年1組33人・・・とは言いつつも、彼らは、1年生から同じ顔ぶれ。そう、1クラスしかないんです。今回僕が故郷を訪れた一つの目的は、ここを離れたときに役立つように、『その人しか持ち合わせていない個性を大切に』を理念に、番組を作りだしていく予定でした。でも、話してみて、この子達の持っている不思議な表情に気がつきました。おびえてる?・・・または、隠してる?それともあきらめてる?そんな風にもとれる冷静すぎる瞳です。こちらの心なんか、お見通しという瞳。それはそれは恐ろしい程の純粋な目でした。1日目には、得意の絵を使って、いろんな物を作りました。もちろん顔魂も作り、自分の作品も見せました。震災前の顔魂と、震災後の顔魂を比較すると、なんと、震災後に作った物には、顔が全くついていない事に気づく生徒達。そこで、僕は、方向を180度転換。テーマを『自分の中の恐怖を、話してみよう』に変えました。震災の事は、この辺では、ほとんど、語られていないようです。大人達にしても、漁場を奪われ、職をなくし、故郷も更地にされてしまった現実に、まだ傷は深まるばかりなのでしょう。33人の『あの日』に起こった事を、一人一人、丁寧に聞いていく事にしました。2日目になると、昨日みんなにあげたノートには、その日の事が生々しく書き込まれていました。これは、相当僕も辛かったです。でも、ここでやめたら、この子達のためにならない。何より、大人として、あまりにも弱い。僕は、ゆっくりと、絡んだ糸を解すように、33人全部から、違う部屋で、その時の恐怖、辛さ、今まで言えなかった事、今辛い事、これからどんな夢に向かっていきたいか?など、5〜6項目を、決めて彼らと膝を突き合せて、語りました。最初は、底冷えのする教室に震えていましたが、彼らの話を聞くたびに、なんとも、いい知れぬ『怒り』のような物さえ感じ始めました。この子達には何の罪もない。国よ、君は何をやってるんだ!!心の底では、こんな言葉が渦巻いていました。天気が良く、校庭はまぶしい程の小春日和、だけど外では、放射能の影響を恐れ、遊べない。海の子が一番楽しみにしている、海水浴も、今年はプールまでも使えませんでした。みんな、避難生活を、余儀なくされていた2週間前後の、壮絶な体験を持っていました。たった12歳の子供に、「学校に迎えにきてくれた時のおかあさんは、ありがたかった・・・」こんな事を、この純粋な瞳達に言わせていいのか?!結局、俺たちの世代は、やりたい放題やって、後の事は『よろしく』か?俺は俺にも腹を立ててしまった。彼らに対する、自分の位置が解らない。必死で彼らの心を読み解いていると、約5時間が経過しました。復興というものは、この街にはないも同然です。海は高濃度の原子炉建屋から流れてくる放射能汚染。頻繁に起こる余震の恐怖、台風も強力なのばかり。風評被害もあり、どこにも行けず、ここで踏ん張っているんです。この辺りには、おそらく、セシウムやヨウ素131だけじゃなくヨウ素137や、ストロンチウム、コバルト、微量のプルトニューム、それから、コンクリートさえ突き通し、遺伝組み替えを起こしてしまう、ガンマ線、がん発症率を促すアルファー線等、強力な、あらゆる物質が、流れてきている事は、明白です。そんなこと子供達には、理解でないだろうと、思っていたときに、一人の女の子が、あっけらかんと「ここは、凄く危ないから、怖い・・・」と涙ぐんだときには、俺も抱きしめて泣いてやろうかとさえ思いました。結局、この日の授業は、みんなの『あの日』体験した恐怖の瞬間を振り返る、親や兄弟、友達の大切さや、人間の素晴らしさ等を、ふんだんに入れこんで、幕を下ろしてきました。後日、早いうちに、メロディーと、ラララで作ったアレンジ済みの音源を届けて、歌を完成させる事になりました。ある一人の少女の言葉「私は、震災前は、デザイナーになりたかったけど、今は、看護士になりたいです」石井「なんで考えが変わったの?」「けがをしている人を助けたいから」石井「君は優しい子だね、素晴らしい心だね、今だけだとしても、そう言う心を持っている君は、馬鹿な大人なんかより、数段立派だよ。」「なぜですか?」石井「この世の中、自分だけがよければそれで良い人の固まりになってしまっているんだ、だから、君のように、他人の事に心をかけてあげられる人間が一人でも多く存在する事は、素晴らしい未来が待ってるってことなんだよ」と、答えてきました。子供は、ウソをつきません。たとえウソでも、それは、たわいないものです。自分の目の奥の純粋さは、少しも濁ってなんかいない。俺と二人の会話は、夜になるまで続けられました。さあ、今度は、彼らが書いてくれたノートから、言葉を拾いだし、歌を作るんだ。彼らが将来、バラバラになって、一人でも強く生きられるために、6年1組、33人の歌を僕は作るんだ。涙をこらえて作るんだ。絶対に、その歌が、彼らの心に届くような、肩をそっと、たたいてやるような歌を・・・。