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資本主義から、経済至上主義へ。

石井竜也

11.12.05 03:35

日本の近代は、この二つの言葉で言い切れるかと思います。終戦後の混乱期に経済的に潤った企業もあった訳ですから、日本全員が、貧乏のどん底になった訳ではないのです。俗にいう一般庶民は、もちろん、厳しい状況の中、生と死を彷徨っているような状況が、混沌と続いていました。やがて、アメリカの強制的な介入のおかげで、自由主義という、曖昧で、この国民には想像もできない政治体制と、教育が行われ、私たちは「劣等民族」に近い存在として、野蛮人のように教え込まれ、戸惑いながらも、頭を下げながら歩いてきました。でも、それはそれで、日本の心と相反するところまでも取り入れてきた民族。意外にも、「誇り」は、簡単にねじ伏せられました。そして、馬車馬のように働く、昭和の40年代がやってくるのです。国内総生産は、うなぎ上りに上がり、人口が増え続けました。いつしか、つらいレッテルの「劣等民族」は、資本主義の競争地獄へと、自ら落ちて行くのです。便利、簡単、裕福、流行、先端、競争、学閥、強国・・・。日本の意識は、『劣等民族』のレッテルをも、自らはがすほどの勢いで、発展して行きました。やがて、「エコノミック・アニマル」という言葉に表わされるほど、経済競争の覇者として、今度はアメリカをも席巻するほどの大きな権力と、お金が流れ込んできました。・・・・かりそめの資本主義の始まりです。やがて、人々は、「あるのがあたりまえ」の生活を好むようになります。そのおかげで、あらゆる機材は、発達し、進化しました。やがて、そういう生活が定着すると、世界への「経済進出」が始まりました。おそらく、国内の原子炉が増えて行くのがこの頃です。約40年前から30年前の原子炉の増殖は、国の経済成長と肩を並べるように増えて行きました。そういう動きに懸念を抱いていたのが、中国やロシア、北朝鮮、韓国という周辺国でした。彼らが恐れていた事は、この国が、経済至上主義に走らないか?という一点だったと思います。元来近代における世界戦争への参加は、国土が狭く、資源に乏しい日本が仕掛けて行った経緯があるだけに、日本の「資本主義」から「経済至上主義」に変貌する事を、恐れていた訳です。これはイデオロギーやスピリットまで変貌させてしまう野心への幕開けだからです。元来従順な国民性の日本が、一旦、このスパイラルに陥れば、また、戦争を起こしかねないとアジア諸国は、心配になりました。しかし、憲法第9条の鉄格子は、教育としての効果を上げ始めていた。日本人は、文化や、郷土、精神をも捨ててきたと、思われていた・・・。が、意外にも、今の日本人の姿は、おそらく100年前の日本人の姿とさほど変わらない事に、大多数が気がつき始めた。そう、2000年もこの場所で培われてきた「血」がたった、60年で変わるはずが無かったのです。そして、大災害と原子力エネルギーの脅威。政治は乱れ、人々は疲弊し、経済も、立ちいかなくなる時代に入ってくると、思い出し始めたのです。この国の素晴らしいところを・・・。この「気づき」が本当である事を祈るばかりです。あのまま、進んでいたら、やっぱり、アメリカのような社会になっていた事でしょう。プロトノミーの現実は人間性をも破壊する、洗脳社会です。それもたった一握りの富裕層への献上金を、ただ馬車馬のように「しつらえるだけ」の、何の感動も無い社会構造。国民を、偽善的な暴力的娯楽に走らせ、欲望を極限まで出させる。その欲望を利用して、今度は、「与えない」ことを、社会に根付かせる。「与えられた者」と「与えてもらえない者」をハッキリさせる事で、1センチくらいのちがいは、相当の違いに見えるように仕組まれる。そんなことの積み重ねで、意外にも国民達は、面白いように特権階級に振り回されて行く。まるで、「覚せい剤」のように・・・。人格は知らないうちに内側から破綻して行く。そこに起こったこの巨大な災害は、きっと、なくなられた人々を通じて、日本人としての「本当の誇り」と「幸福感」がどこに根ざしていたかを、思い出させてくれたと思いたい。人間が生きるという事は、「生きているという実感」から来ていた事を、自然との対話の中からでしか、「本当の人間性」は成長しない事を、国際人になる前に、「日本人でいる事」の誇りを、今の日本は、気がつき始めている。心底笑える時期がどの変になるのか?全く予想も出来ないが、もし、この国が完全なる復興を目指すなら、それは「謙虚の中にある尊厳」と、「精神的な成長を遂げた誇り」に隠されているのではないか?と思うのだ。

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