単純明快なのにできない事。
石井竜也
11.12.21 18:13
世の中の仕組みがいつからこんなに複雑怪奇になってしまったのか?ちょっと考えれば、何でもない事が、あまりにも遠回りで理屈をこねて、迷路のようになってしまったのか?悪は悪ではなく善も善ではない。どちらでもない道徳観念が今の世界を牛耳ってる。一体これは誰が考え、始めた事なのだろう?誰も複雑な事なんか求めていないのに、なんとも、魑魅魍魎が闊歩する世界に、いつの間にかなっていた。100年前もこんなだったのか?それとも、全然違う美学があったのか?それさえも、想像するしかない。歴史に名前が残っている人物にしたって、相当大雑把に描かれているとしか思えないし、断片だけをみたり、読んだりしても、本当の「その人物像」は、出てこないな。複雑にしているのは、嘘と真実が共存しているから、そして、嘘が本当になる事があったからだと思う。もちろん、人間はその時代その時代、必死に生きてきたに違いない。これだけは嘘ではないと思う。「こっちをたてればそっちがたたず」という風に、社会は、めまぐるしく動くコマのよう。ちょっとでも力をゆるめようものなら、回転は止まってしまう。とにかく、難しいと思うのは、嘘が全部行けないという訳じゃないし、本当の真実がいい事とも言えない。「嘘も方便」や「偽善」と言った現実がどの時代にもあっただろう。多分、そういう事の積み重ねが、急激に人間社会を複雑にしていったに違いない。きっと、誰のせいでもなく、こういう社会に進化している人間の宿命が、あるのかもしれないな。原子力の問題にしても、「ないほうがいい」と簡単に言えない、時代もあったと思う。東西冷戦の時期に、原子力は、世界中に反乱していく。いわゆる核拡散が始まった訳だけど、核攻撃にさらされている国は、本当に恐怖だったに違いない。原子力発電所は、そのまま、軍事的用途に使えるという、ミサイルに搭載すれば、核爆弾もすぐ保有できてしまう。54基の原子炉から、プルトニュームを取り出せば、どれだけの原爆が作れるか・・・。ということは?・・・そう!日本は核保有国という事になる。核で攻撃された教訓からなのか、戦争の危機を回避するための抑止力なのか、とにかく、この小さな島国には、ふさわしくないほどの量だと思う。54基の原子炉があるという事は、どこにでも福島は存在しているという事だ。国と国のケンカが戦争だとしたら、ずいぶんと高くつく喧嘩だな。誰だって、平和がいいに決まってるし、死にたくないのに、人間は、自殺したり、殺しあったり、なんて物騒な生き物なのだろうか。誰が見ても、危険きわまりない状況を自分でつくっている現代社会の構造は、大きな何者かの力のせいで、こうなってるというよりは、人間という生き物は、富や権力を、持つと、変わってしまうという事を、今回の震災は俺たちに投げかけているんだな。地球の中心部分を『コア』というが、日本では『核』という。この地球内部の高温部分がマントル対流を起こし、プレートを動かし、同時に大陸が動いている。実は、地球内部からの放射線もあるという。もちろん、太陽光から降り注ぐ放射能もある。ニューヨークから日本まで飛行機に乗れば、往復で200マイクロ・シーベルトを浴びた計算になる。1年間に人間が自然界や科学的何らかのモノで浴びている線量は2400マイクロ・シーベルト。これを超えれば、必ず、白血病や癌を発症するかというと、これも、個人差がある。人間は、放射能や核物質に実はいままでも、ずいぶんとさらされていたのである。反対にまったくナマリで作った部屋で、過ごせば、今度は違う病気になり、これまた死んでしまうえらしい。要するに、チェルノブイリでも、発症する人と、しない人がいるように、個々の身体的固有の問題でもあるというのが、専門家のいい分だ。結局、耐性がある個体と耐性が弱い体があるという事か?・・・という事は、小さな被曝量でも病気を発症する人もいれば、結構強い人もいるという事かな?この結構強い人の身体には、何が一番、内在しているのか?この「考えかた」事態が間違っているとも言える。もっと、単純に説明できる人はいないものか・・・。