「心の余裕」の減少傾向
石井竜也
12.01.05 11:44
今までは、何も考えず、出来ていた事が、行為自体になると、当たり前に出来なくなる傾向は絶対にあると思います。つまりは、気持ち的な余裕の問題。ゴミが落ちていて、たまたま、ゴミ箱がすぐ近くにあった。心の中では「しょうがないなあ・・・」と思いつつも、ゴミ箱に捨てるとか、こういう行為は人の気持ちに余裕があるときに出来る事ですよね。何でもない事・・・。一転して、心に余裕のない時代には、人の事なんか構っていられなくなる、加えて、自分の所業さえも誤摩化す、嘘を平気につくようになる、保身という事で精一杯の時代には、ゴミ等に気をまわす余裕もなくなる訳です。そういう時代においての「ここの置き場」は、「正直な自分の本音」。人間、清潔が好きな人は清潔を保ちます。また、何らかの理由であれほど潔癖性だった、清潔主義が、見るも無惨にだらしなく散らかしたままでも平気になってしまうという事もある。この場合、殆どは、気持ちのアンバランスが原因です。つまりは、片付ける気力もなくなっている状態。はじめから、あんまり部屋の掃除等に頓着していない人ならともかく、清潔好きの潔癖性気味の人がこうなる事は、非常に危険です。俺は友人の心の奥を部屋の状態で判断したりします。人間には、口では言えない感覚的な事やどんな友情にも言えない問題が必ずあるものです。そういう事は、認めるべきで、趣味がいいとか悪いとかは、自分の中にとどめておく。しかし、部屋を見れば、大体は、今いる彼のあるいは、彼女の精神状況はなんとなく解る。物が多く、一見雑然と見えていても、以外にも散らかっては見えない部屋。これは、芸術家に多いタイプ。自分自身の中の整理がつけられている証拠ですね。だから、俺自身、アトリエのカッコ悪いアーティストは、あんまり好きではないかも?汚れている事は、彼の生きている作品への敬意に感じます。しかし、どうでもいい、汚れ方があります。例えば、牛乳瓶に、ゴキブリと、タバコの吸い殻が一緒に入っていたり、その周りには、あからさまにカップ面の食べ残しが数カ月放置していたであろう状況や、どうやって、料理をしているのか解らない程、汚い皿や茶碗がうずたかく積まれていたりとかの、言い換えれば多少病的な汚さは、耐えられない。いくら彼が良い作品を作ろうが描こうが、認められない感じがする。つまりは、俺はそのアーティストの「美学」が見たい訳ですね。作品本体の完成度もさることながら、優れた技術と完成度を持つアーティストの身の回りからは、何らかの「美学」が感じられる物です。それでは、「美学」とは、なんだ?という事になる。これは別に潔癖性に部屋を片付けているか?とか言う問題じゃない。「配置」かな?物品とは、本当に面白い物で、物の置きようで、センスもよく見えるし、そのもの自体の価値が上がっても見える。なにも、とてつもない家の床の間に飾ってある一輪挿しの事を言っている訳ではない。雑誌の積み方一つでも、部屋の雰囲気が変わるという事。こういうと、「そんなに気を遣って自分の憩いの場所を堅苦しくする意味があるの?」と言われる事がある。クリエイティブというのは、自己演出の能力がほぼ大半を占めていると言っても言い。だから、こういう事が自然に出来る人は、人生自体の楽しさを、満喫しやすい。・・・ということ。「なんでもいい」は、「なんでもいい人生」しか送れなくなる。「部屋を整理整頓しろ」と言っている訳ではない。「部屋に雰囲気をつくりますか?」と言っている。この言葉は、理解出来る人と理解出来ない人がいる。しかも、理解出来ない人がほぼ・・・・かな?つまりは、「美学」とはその人自身から醸し出している趣味や理念の現れで、あくまでも、とりとめもない空気のような物。だけど、確固とした形がある。趣味の良い部屋は雑然と見えるようで、魅力に溢れている。ただ、意味なくだらしのない部屋は、その人の人格にまで反映してくる。厳しいように聞こえるかもしれないけど、小さな喜びというのは、棚にどんな形で何を置こうか?などから、発展していくものだ。こういう時代に、そこまでの余裕が持てたとしたら、貴女は本物ですね。趣味がいいという人生に部類される。お金の問題もまたしかり、上手い人は、本当に気に入った物を「吟味」してから買う。貯金も、意味なく自分を犠牲にしてまでする事はない。お金は使わなきゃ、ただの紙と金属。自分の人生への投資は、どんどんするべきだと思いますね。途中で交通事故で死んだら、溜まった1000万円も何の意味もなくなってしまう。ボロをまとっても、見えない未来に投資するか?今現在を、自分なりの美学で心を贅沢に生きるか?この国の現実はこういう所にも出てきているかもしれませんね。