子供の場所。
石井竜也
12.02.29 06:36
「学校」とは、初めて他の人間との共存を学ぶ所。「教師」は教育を通して、世の中の仕組みの大枠を教える人。そして「生徒」は、自分の「殻」を破って、あるいは破られながら、社会の厳しい反面と、そこにある友情と勇気を持つ事を身につけていく準備をする人。親は、背中に巨大な愛情を隠しながら、自分のこの成長を、見続け、軌道修正をする人。「成績」とは、その子の性質を見極め、良い、悪いじゃなく、あくまでも、進むべき方向の指針になるだけの事。でもそれは人生の10%もない。後の90%は、「没頭」や「集中」「優しさ」「憧れ」を身につけられればそれでいい。どだい、子供の身体のほとんどが「夢」で出来てるんだから・・・。教育システムの劣悪な状況は、その国の人間としてのレベルを一番反映しているとも言える。「教育」とは「今日、行く」今日も学校に行く行為が本来大切な事なのだ。「しつけ」とは、「おしつけ」とは違う。「仕付け」つまり、バラバラだった、着るもののパーツを、縫い合わせていく事。そして、立派に一着の服に仕立てる事を言う。仕立てた、着物なりスーツは、いずれ誰かの物になり、一人歩きし始める。それを見て、やっと、親は自分の年齢に気づき、「おや?」と思う。自分を楽しむ事を覚える事。これが親から「人」になるときなのです。子供の場所が現在、本来の用途に使われていない気がします。「手を添える」という事を、この国では、忘れてしまったのかもしれません。「本来」の子供達のそれぞれの自由な発想を遠くから観察する大人が消えた。