まず、皆様の善意の寄付金を、北茨城に。
石井竜也
12.03.11 19:53
今日、3・11を故郷に心のキャンドルを捧げてきました。地震が未だ多発し、関東というだけで、何の保証もされていない僕の故郷の北茨城市は、トンネルひとつで福島という県境の小さな港町です。地震・津波・放射能・風評・過疎の五重苦に苦しむ場所でもあります。老人が多く、ケアする場所はあっても、人がいないのです。今や、老人同士でのケアをし合うような街になってしまいました。子供達の身体も心配です。病院の数に合わない医師の不足が深刻な状況です。出来れば、放射性病理学の専門家の医療機関が必要な場所であるのは明確で、これには全く手が付けられない状況。街もすっかり、なくなってしまったような状況で、港も風評被害のため直したくても、魚が売れない以上、未来が見えない状況なため、思い切った補修工事が出来ない状況。未だに、港の補修工事は、手つかずの状態、幾たびに、コンクリートの堤防や、船着き場は、ボロボロの状態です。しかも、地震の度に崩れる海岸線の悲惨さは、目もあてられないような事になっています。以上の事から、集められた一部金を、500万円を、寄付金として、全町民の前で、市長様に預けて参りました。微力とは思いますが、皆様のご納得をして頂ければ、幸いです。船は、いつもピカピカの状態です。なぜなら船乗りは、いつでも「漁」に出られるようにいつも磨いているからです。悲しい程奇麗に磨いている漁船を見ると、漁師の心の痛みが伝わってきます。コウナゴや、アンコウ、ヒラメ、キンキ、カニ、ウニ、エビ、など、海底の深い場所の近海漁業なだけに、放射能汚染水の放水によって、漁場は完全に壊滅状態。そこに風評被害が重なり大変な生活を強いられています。僕は、生まれ育った場所だけに、そこで生活する人々の笑顔を見るに付け、一生懸命に強く生きようとしている姿を見るにつけ、そこで生きる厳しさを、心の底にグッとおさめている・・・そんな、不安が見て取れるだけに、黙っていられなかったのです。自分の故郷に皆さんの善意の一部を使ってしまって、申し訳ありませんでした。でも、こういう街では、確実にこのお金で助かる人がいる事も事実なのです。我が北茨城は、そんな状態でも、福島県南相馬からの移住を、いまでも受け付けています。文化圏が似ているのと、少しでも原発から離れているという事から、始めましたが、現在、避難している方はそう多くはありません。つまりは、北茨城市も避難するには近すぎる場所にあるという事なのです。この絶望的な現状を、どうか理解してあげて下さい。お願い致します。今回は、本当にありがとうございました、「この500万円は、老人介護、医師の招致、瓦礫の撤去等、少しづつ大切に使わせて頂きます」とのお言葉を頂きました。何度も言わせて下さい、本当にありがとうございました。その模様は、レポートのページで、すぐに上がると思いますので、見て下さると幸いです。