「残酷」という日常。
石井竜也
12.03.28 21:01
戦争をしている国にはこういう言葉が当てはまります。「残酷」という名の日常。悲惨きわまりない状況がいとも簡単に起こり、そこいら中に人間の内蔵や脳漿や肉片が転がるにぎわいの商店街や、子供も平気で頭を打ち抜く兵士の姿。ピクピク動く身体に目もくれず、葉巻に火をつけて何もなかったように消えていく。助けて下さいと泣きながらすがりつく老婆を、車いすの夫の前で、射殺する兵士。命令だからと、200人殺した遺体を、生き残った村人に無造作に埋めさせる兵士の精神的な所は一体どうなってしまったのか?家に帰れば、「いいお父さんだったりするのだろうが、戦地での異常行動は、今も続けられているのです。今回の福島の政府の対応は、ライフルや、ミサイルまではないものの、やっている事は、こういった『残酷』な行為とちっとも変わらない事を、肝に銘じて下さい。日本では、30年掛かって、国民が疲弊し、病気になり、国家を揺るがす程の人口減少が起こる事は必至です。その現実を、「しょうがねえや」とあきらめる政府なのか?それとも「日本を守るんだ!」と立ち上がってくれる雰囲気を持っている政府なのかを、よく判断した方が良い。なぜなら、「残酷な日常」は、いつでも簡単に作り出せる場所にあるからなのです。特別で遠い国の見知らぬ出来事だと、思わない方がいいでしょう。いつでも起こりうる、この国の立地条件が危険度を上げている訳ですから、自然災害だけが、国を滅ぼす理由にはならない場合の方が多いのです。「適材適所」より「適役的確」に物事を素早く、そして反対を恐れない勇気で復興を後押しする政府は、夢のまた夢なのでしょうか?