例えば・・・。
石井竜也
12.04.22 04:47
例えば、貴方が生きていなかったら、自分で人生の中で会得した素晴らしい経験を、後輩達に伝えられない。そこが危険な場所である事を、アクシデントに見舞われたからこそ、本気で伝えられる。例えば、貴方がこの世にいなければ、天に昇った幾万の御霊が、一生懸命に人生を歩いていた事を伝えられますか?一人一人の心はさまざまです。「愚かだ」と言われて、冗談で終わるひともいれば、喧嘩になるひともいます。また同じ言葉でも、その状況と言い方が相手の心を傷つける事もあります。ひとは、生き物で、気持ちを持っています。貴方が泣くときは、おそらく貴方が一番素直になれたときだと思います。「笑い」は、つられる場合もありますが、いっぱしの大人がなくという行為に至るときには、つられて泣く・・・なんて事は、なかなかありません。しかも、臆面もなく人前で、泣き伏してしまう状況はよほどのこがない限り、起こらない事です。今、この日本で、悲しさと戦って、寝床の毛布の中で、声を出せずに泣いている人々がどれだけいると思いますか?アジアでは?世界では?・・・ワルと言われる人々の中に、時々正直な人間の本性を見るときがあります。また、虫も殺さないようなひとの中に異常な執念や憎悪がわき上がるのも見た事があります。日本では、いい意味でも悪い意味でも「こらえる」という美意識が存在します。この言葉の裏には、「自立した大人が、人前で、泣くような恥ずべき行為をしてはならない」という意味にも取れます。しかし、ひとは必ず子供の頃からの記憶や状況が大人になっても身体で覚えているものです。いくら、大人ぶっても、そういう自分の原点からは逃げられません。たとえ、その原点が醜悪で、醜い思い出、あるいは残酷で非常な経験であったとしても、子供の頃に受けた心の傷や、感動したり心から楽しかった思い出を取り去る事は出来ないんです。でも、それこそが貴方の魅力を作り出す要因でもある事を、絶対忘れない事です。とてもじゃないがひとに話す事なんか出来ないような思い出でも、時間が経つにつれ、いろいろな方向から見つめられる時が必ず来ます。だからといって、傷の痛みが消える訳ではないのです。ただ、貴方以外の方に、そういう巨大な渦に巻き込まれた経験から会得した、心の防衛の仕方も一緒に考えてあげられるものです。生きていればこそ、泣いて、悔しくて、愚かで、弱くて、・・・でも、そんな人生でも愛は、かならず成長するんです。この世で、一番悲しい事は、苦労してでも生きていく意思を放棄してしまう事です。そこからは、何も生み出せません。「愛」は、誇りであり、喜びであり、美しさであり、「人生の水」なんです。