瓦礫という名の・・・思い出。
石井竜也
12.05.24 04:16
放射能まみれかもしれません。気味が悪いのも解ります。俺の実家の裏にも瓦礫が2ヶ月程ですが、集積場になって家より高く積まれていました。真っ暗になった町で見た、まんまるな月に照らされた瓦礫の山は、蒼く光って、まるで町そのものの墓標のようでした。「この光景は子供達に見せてはいけない」とも思いました。まだまだ底冷えする中、しばらくその光景を見ていたら、自然と涙が流れてきました。ここで育ち、ここでいろいろな人間経験もし、人情にも触れ、父や母の背中を見て育った者としては、目を背けたくても背けられない光景でした。しかもあの地域ですから、決して低くないであろう放射能も、当然検出されるのでしょう。でも、なぜ僕は、その光景に目を奪われたか?と言えば、意外にも月夜に見る瓦礫の山は、薄気味悪くも、悲壮感がただ悪戯に漂う残骸のようには見えなかったからなのです。僕には、あの山が僕に「さようなら」を告げている一人の巨人に見えたのです。しかも、座り込んで肩を落とし、おそらく涙もこぼしていたのでしょう。心なしか震えてるようにも見えました。後ろ姿の『ガレキの巨人』は、僕の心にこう言っていました「ここに町があったんだ。町が波に壊わされて、今は空き地になっちゃったけど、ここで生まれたり育ったり、仕事をしたり笑ったり泣いたりした多くの人生は、ずっと、ここに眠ってるんだよ。もうすぐ僕も、みんなの所に行けるかもしれない、または、行けないかもしれない。いずれにしても、僕は決して、君が裏庭で、犬と追いかけっこをしていた事を絶対に忘れないよ・・・」とね。権力者の皆さん、お願いです。瓦礫は基本的に、全てその土地深くに埋めてあげて下さい。あんなに反対している人たちもかわいそうだし、反対されている瓦礫もかわいそうです。放射能が怖いのなら、コンクリートで、一気に地面深くに埋めて下さい。瓦礫、瓦礫と呼ばれるのも、もう巨人達には、耐えきれません。せめて、元の町の地中深くに埋めてあげて下さい。それは、きっと、亡くなった幾多の魂も同じ思いだと思います。あんなに無理矢理、嫌がる住民のみなさんを警棒で殴りながら、する事ではありません。瓦礫を出す事になってしまった町の人々も、同じ思いだと思いますよ。燃やすだけで、おそらく何年も掛かる事でしょう。日本の土木技術なら、埋め立てる事は燃やす事より簡単だと思われます。くだらない会議を30回もやるより、その議会の30回分を埋め立てに使えば、いっぺんに片づくんですよ。これ以上「瓦礫の巨人」を泣かせないで下さい。おねがいいたします。