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次元の違いとは?

石井竜也

12.05.28 12:08

「次元」という言葉はよく「あいつとは次元が違う・・」とか「あの人、次元が低い」とか、という感じで使いますね。これは一体どういう意味なのでしょう。日常で使われている「次元の違い」とは、性格や教養等が異なっているとか、生活のレベルが違うとか、主に、差別的に使う事が多いですよね?でも、これから話す『次元』とは、そんな生易しい言葉ではありません。この世の全ての見方が変わってしまうような意味での『次元』です。・・・といっても4次元とか5次元とか言うSFの類いの事でもありません。そもそも「次元」とは、立体空間を表す言葉で、点や線から始まり2次元は平面、3次元は立体、主に僕らの住んでいる世界は3次元という事になります。じゃあ、4次元は?これは時間を表します。それ以上の5次元や6次元となると、殆ど宗教的な精神性等が組み込まれてきて、とても話せるような簡単な事ではないようです。俺はこう思うのです。この世界に「次元」という物が本当に存在するのか?ってね。当たり前のように話す『次元』。要するに、この世の構造を表す言葉な訳ですよ。だから、別に1次元だの2次元だの、そんな表現で表す必要がない。そんなもの、誰かが解りやすく説明するための学術用語に過ぎないんじゃないか?ってね。例えば、球体(完全に近い)は、一方方向から光を当てていれば、回転している事さえ解らない。手で触り、回転を止めたり、回転する感触で、初めてその球体が回転していたのだと解る。よく起こるデパートなんかのウィンドウに思いっきり顔をぶつける事故。ガラスが透明すぎて、そこにガラスという壁が存在していないと脳が判断して、起きる事故ですよね? つまり脳は、「壁は、そこには、存在していないよ」と認識してしまった事で起こる。実は、俺は、ここに疑問を持つんです。殆どの人が、そのガラスに映る周辺の景色などを認識しているはずなのです。なのに、ガラスにぶつかるという事は、その人間の「精神的な部分」も絡んでいるのかもしれないってね。実際、車の事故の相当数は、集中力の問題で、運転中に何か他の大きな悩みや、不意に起こる無意識状態が引き起こすと言われています。つまり「ボ〜〜〜っと運転してた時間」という事ですね。人の生き死にに関するような大きな物に僕らは乗っている訳です。それに関わらず、多発する交通事故。ほんの一瞬前まではちゃんと集中していたのに、たった3秒間ボ〜〜っとしたせいで起こる、交通事故。ここからが確信です。俺は「次元」というのは、まさにこういう「現実」と「極めて非現実」と思っている、または思い込んでいる、「間」に存在している、「偶然」の事をさすのではないかな?ってね。一見、全く関係のない言葉「偶然」と「次元」。だけど、これは紙一重で存在する現実なのではないか?と思うのです。世界の各地で描かれている創造物や書物のストーリーは、この二つの言葉で全てが説明がつく。同じように、今起こっているこの国の問題も、経済という目に見えない雰囲気であるのに、確実に解りやすい、見える棒グラフで、判断されてしまう。それじゃ、放射能は、どうなんだろうとフト考える。これは一種の亡霊だ。「見えない何物かが取り付く」とか「あそこは不吉だから行ってはだめだ」とか「あいつ、あんな事して、絶対にバチがあたるぜ」とかいう類いの言葉とあんまり変わらないのではないか?と、このごろ思うのだ。しかし、意外にも、現実世界で起こる事象には、おおよそ説明がつかない事柄の方が多い。なぜ2000年も前のネイティブ・アメリカン達は、ウランの採掘現場の近くを呪われた場所として知っていたのか?なぜマヤ人達は、ガリレオの何百年も前から、確実に近い宇宙観と時間の観念を持ち合わせていたのか?世界中の宗教や、言い伝えに出てくる死後の世界の入り口は、なぜ「白い光に包まれる」という事で一致しているのか?俺たちは、意外にも、普通に次元を超えて生きているのではないか?とさえ思ってしまうのだ。『偶然』と片付けている事柄にも同じ事が言える。「ただの偶然だよ」とか「あのとき偶然、君が通りかかった」とか、言い方は様々だが、果たして、計算で割り出したら、何兆分の1の確率を、「単なる偶然」でおしまいにしていいものなのか?ここまで話すと、「この人、神様の話でもしだすんじゃないか?」とか思われてしまいそうなので、話をもとの『次元』と『偶然』に戻します。つまり、これを面倒くさいから『運命』とよんで、片付けているんです。「命を運ぶ」あるいは「命が運ばれていく」と書いて『運命』という言葉になります。「次元」は、今の科学では飛び越えられない壁として、人生の中に存在していると考えられています。「偶然」も自分では絶対に出来ない事と片付けたほうが都合がいいから、そう考えるようにしています。でも、本当にそうでしょうか?動物の予知という危機管理システムは、コンピューターを使って予測している訳ではありません。また、科学に頼るのは、逆に言えば「非科学的」なのではないでしょうか?「予知」とは「偶然」にも繋がっている言葉です。同じく「次元」は、人間社会から向こう側に広がっている世界です。しかし、日常的に我々は次元を意識して生きている。それを認識しなければ、ガラスに思いっきり顔をぶつけてしまう。ぶつけた本人にとっては、まるで非現実にぶつかったように感じ、それを客観的に見た人は滑稽にも思う余裕がある。この違いは相当の違いだとは思いませんか?まるで、放射能避難区域を、3っつの真円で囲んだ地図くらいばかばかしい。アレが今の科学だとしたら、人間は実は『頭の悪い動物』ってことになる。それは「ナントカ大学を出たから頭がいい」と言ってるのに等しい。人間の精神的な事を抜きにして、科学や経済を語る者に、社会の構造等理解出来ている訳がない。数字やグラフに頼るのなら、あれはカルト教団と同じだな。大事なのは『勘』だと思う。これだけが「命」を救うし、「命」を守れる。要するに一番大切な「予感」や「察知する能力」を無視し続けてきた人間の社会構造が今の危機を生んでいるってことだな。「自分の予感を信じた方がいい」なんて言うと、「非科学的」とか「馬鹿なんじゃない?」とか言われる現代において、一番信用出来るのは、『勘』だ!!これが次元も偶然も起こしている張本人なんだと俺は思っている。

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