矛盾という楽園。
石井竜也
12.06.03 16:09
矛盾は、その国やその社会状況、その文化、歴史、時代によって異なってきます。ある国に異国の美学が教え込まれたとします。それが初めは『徹底的な矛盾』として、人々は拒否反応を起こします。しかし、そんな薬を飲まされ続けると、あら不思議、そのうち薬がないと生きられなくなってしまう。要するに、『贅沢でもなんでもない事が、ある国にとっては贅沢だったりする』それを麻薬というんです。一度味わった贅沢麻薬は身体に組み込まれ、二度ともとには戻りません。オランダのように、麻薬を合法化して、麻薬患者を救済するしか道はなくなる。アメリカで言えばピストル文化と同じです。何がそんなに恐怖なのか?何丁もライフルだのピストルをベットサイドに置かなければ、安心出来ないって、一種の病気でしょ?でも、日本から見たアメリカがそう映るだけで、本人達は至って当たり前なのです。同じ事が日本にも言えるのです。「なぜ、あそこまで我慢出来るんだあいつら?」と世界中から思われているかもしれません。幸福や不幸も同じ事。その国の置かれている立場や社会常識に起因する『幸せ感』の違い。「矛盾だと思っていた事」は、そのうち、「あたりまえの常識」になってしまう。福祉のパーセンテージだけで、この国の福祉が低いレベルであるとは言えません。それをいうなら、教育の問題でしょ? 教育はその国の背骨です。何も数学ができるから頭がいいと言っている訳じゃなくて、教えるべき、「モラル」が欠如しているのです。福祉とは、そのモラルの上に築かれる物です。紳士的な考えが欠如している国に福祉をどんなに根付かせようとしても、無理なんです。教えるべきは「自由という責任」だと俺は思います。自由でいたいなら、自由を謳歌するための知恵とモラルをキチンと守るべきなのです。ここで言う知恵というのは、あくまでも「勇気」の事をさします。実は「知恵」と「勇気」は、同じ場所から勉強する物です。それは「失敗」。今の日本の教育は「失敗」しないようにするための勉強のように俺には感じるのです。そりゃあ、失敗しない方がいいに決まっている。しかし、人生には「完全」なんて言葉はありません。多かれ少なかれみんな失敗しながら大きくなっていくんです。それでも突き進む勇気を、学校や親が子供達に教えなければならないのに、そこが全く欠如した状態の教育システム。ここまで一流大学を出ようが出ていまいが関係なくて、どこも出ていなくてもヤル奴はヤル!!という時代なら、教育の中に『人間学』的な物を組み込んだ方がいいんじゃないかな? この国にはびこった罪悪の根源は全て、「健全な自由主義」に染められなかったこの国の教育にあると思います。