出来る事をしていく。
石井竜也
12.09.10 10:28
無理なんかしなくていい。人それぞれ、人生設計もあるだろうし、事情もある。だから、出来る事から始めればいいんだ。無駄だな?と思う時間にすればいい。人に対する、善意の気持ちが押し売りにならないためにも、そのほうがいい。それだって、しよう!と思わなかったら、出来ない訳で、立派な事だと思うよ。あれから1年半がたち、復興復興と財源を計上しても、アレだけの広範囲の復興費に与えられた15兆円も約半分が使われずじまいだという。阪神淡路のときには、4日目には、災害対策本部の設置が閣議決定され、その翌日には実際に現地に設置。40日後には、既に復興支援活動を、全国規模で始めていたという。それと比べると、なんと、人道的にも、社会的にも許されない事を、今の政府はしているんだ。それでいて、最後まで私腹を肥やす努力だけは惜しまない、か?・・・不憫だね、今の俺たちは。だけど、毎日は嫌でもやってくる。生きていかなくちゃならない。よく考えてみれば、人の失敗をいまさら批判したって、始まらないよね。そうやって生きてきてしまった我々にも責任はあるんだからね。だったら、どうするか?「現実と向き合い、危険を察知しながら、自分の大切な物を守る」それと同時に、「疲れをちゃんと、発散させること」どんな時だって、疲れた身体で、事に望む事は、自分にとっても周りにとってもいい事じゃない。自分で抱え込まないで、どこかで発散させて、生き抜いていかなくちゃならない。そのときに大切な事は、自分を通して、外の世界を見る事。外の世界だけを丸呑みにしない事ですよ。あくまでも、あなたがいなければ、この世には、何もなくなるんですから。だから、自分の目を通した、濾過された物を、見ていく癖を付けて下さい。小さな事程大切です。大きな事は、どうせ遠すぎて、あきらめるか、自分が疲れておしまいになるだけ。ですから、自分の目の前に出来る事があって現れたなら、苦しんでいる人のために何かしてあげましょう。それは、あなたが、日々、そう言う事を考えているという証です。立派な事を言うだけだって、何もやらない人に比べたら、どれだけ素晴らしい事か。それこそ、あなたの『愛』じゃないですか?それぞれの人生にはそれぞれの障害や、難しい難題がある物です。それは大人になればなるほど、巨大で、大きな物に感じます。俺は、若いときにいつも、年を重ねれば、いろんな事が理解出来て、いろんな対処方法を覚えるはずだとばかり思っていました。だから、年寄りがいちばん、ずるいとまで思った事もあります。でも、いまはちがう。年齢を重ねるという事は、あらゆる不安要素や、この社会に蔓延する理不尽が見えてくるという現実と否応なく向き合わされていくという事なのだ!と、思うようになりました。自分の母親が、足の手術を行って、回復していく喜びは、未来の子供達の成長と同じくらいの喜びでした。母親は、泣いて、俺にお礼を言ってくれました。当たり前の事なのに・・・。だけど、俺はこう思うのです。この世の中に生まれてきて、何か自分だけのためじゃない事を、一つでもする事は、たとえ母親でも、尊いと・・・。だから、自宅介護や、認知症のご家族をお持ちの方型のご苦労はいかばかりか・・・とも思いますが、どんな苦しい事にでも、なにがしか、何とも言えない『「至福」の時が一瞬でもあるはずだと思うのです。肩の力を抜いて、深呼吸して、もう一度、自分の立場を理解してみて下さい。あなたはそこにいなければならない存在なのがよく解ると思います。出来る事をやればいいんです。ただそれだけで、どんなに救われる人がいる事か。あなたは元来素晴らしいのです。なかなか自分を表現出来ないぶきっちょで、ノロマで、おっちょこちょいかもしれません。でも、あなたには少なくとも「考えている」という『愛』があります。「愛」がなければ、考える事もしません。それは、本当に素晴らしい事だと俺は思います。そんなに頑張って生きているんですから、もっともっと自分自身を大切にする事から始めたらどうでしょうか?人は、そこから成長するのだと、俺は思います。