「祭り」は、俺の中で「祀り」にかわっていた。
石井竜也
12.10.19 04:34
この一年と半分、いろいろと皆さんの心の中でも感じたり、変わったりする事が相当あった事でしょうね。時には、現実に押しつぶされそうになりながら、歯を食いしばり、よじ上った壁もいくつもあった事でしょう。俺も変わりました。「変わらずに自分の信念を貫く」なんて潔い生き方なんて、たいした事じゃない。変わろうが這いつくばろうが、身体をよじる程の怒りに震えようが、生きていなければ、それさえも出来ない。俺もまた、人をなにがしかの事や言葉で、苦しめていたり、傷付けていたりするのかもしれない。だけど「潔く生きる事」など、俺には出来ない。どうにか、こうにか山を登って、次の山を目指したいのです。その途中、俺は力つきてしまうかもしれないけど、歩くだけは歩き続けていたい。考えたら日本の祭りも世界中の祭りも、「祈り」だったりするんだよね。みんなで楽しむ自分だけの「祈りの祭り」。今はもう、正直、その場所で、あたえられた瞬間をとにかく自分が誠意一杯出来る事をしたい。ただそれだけでいいんだ。多分、俺にとっての潔いい生き方は、「変化し続ける事」なんだと思う。人それぞれの言葉の解釈や、心の持ち様は違うのだから、いろんな「生け花」になればいい。だけど、俺はただ生きるのではなく、「活きる花」を目指したい。何もかも信じられないときもある。でも、信じなくちゃ、いけない事もある。えてして、そういうものは、掴めず、見えず、感触さえあやふやな物が多い。不安が襲うときには、この言葉を、思い出すと言い。「今日は二度と来ない」そうなんだ、どんな時代だろうが、今の社会が嫌いだろうが、「今日は、もう二度とないんだな」。そう思うと、なんだか、今日という日、いや、今という瞬間さえも、生きてるんだ!と感じる事がある。一度しかないから、面白い。一度しかないから尊い。一度しかないから、涙も出る。一度しかないから腹の底から笑いたかったり、心の深い所で感動したりするんだな。そうすると、この世の中に「どうでもいい」なんて事が何もない事に気がつくはずだよ。