奇跡の繰り返し。
石井竜也
12.10.30 00:44
私たちは未だ、人類としてのグローバルなものの考え方や、均衡と自由、そしてこの星に制を受けたにもかかわらず、いがみ合い苦しめ合って生きている。半ば、絶滅を希望しているかのごとくに、経済と政治によって一部の支配階級が支配し続けている愚かな存在でしかありません。本来の人間のありようは、「そこにいて、そこを謳歌し、その心を豊かにする努力を惜しまない人生と、愛すべきものたちを、素直に受け入れ、多くを求めない事」だと思います。私たちは、この宇宙の時間軸からしたら、たった一度の星の揺らめき程もない短い時間を、偶然に共有している、いわば奇跡的な生き残りなのです。そんな大切な命を、爆弾や、科学的という無味乾燥な分野に洗脳され、あたかもそれが世界の秩序の様に、最低でも10年も教え込まれれば、「人らしく生きる」という真摯な態度も揺るがされ、自然を操作できないかなど、多くの幸せを狂わされている事に気づきます。よく言う「子供は純粋で大人は薄汚れている」という短絡的な言葉。これは本当に人生を楽しんでいない人の言葉です。大切な人を、不慮の事故でなくしたとします。これ以上の不幸はありません。だけれども、人間はいつか全てを受け入れなければならない運命にある事も事実です。もし、魂があったとして、亡くなられた方々のお心が私たちを見守っているとして、悔しさと、怒りと憎悪に満ちた人生を送る事が、亡くなられた尊い命に対して、果たして、報いる事なのでしょうか?凶暴な犯罪は、裁かなければなりません。千年前なら、人殺しをした者等、村中で「なぶり殺し」にしていたのでしょう。おそらく、そういう行為に走っても、かえらない命の悲しみは消えないのでしょう。怒りと憎悪でこの世界を見れば、これこそ地獄です。やりたくもない仕事の残業後、冷たい雨に打たれながら、家路を急ぐ途中で、あまりにも寒くて自販機でコーヒーを買う。ガチャポンのような音がして、下の狭い転がり口に出てくるコーヒー。ふと見上げると、寒さだけしか感じない夜空が広がって、まるで自分は不幸の頂点の様に感じる事なんて、いくらでもありますよね。きっと、そういうときの貴女は相当疲れているはずです。身体には自ずと磁気が出ています。その微弱な磁気の流れを、人のオーラといったり、生命力と言ったり、精神波動と言ったりするのでしょう。いずれにせよ、いろいろな免疫が弱体化しているときというのは、何を見てもネガティブにしか、受け取れないのです。だからこそ「音楽」がある。音楽は、心に直接話しかけるいわば「祈り」の共鳴です。「生きているんだ!」という実感の確認です。その場の不幸のどん底のような感覚を、一気にファンタジーに変える力があると思うのです。君がここに生きているという事を、思い出しましょう。実はそれこそ、大人の社会で、唯一許された「子供の心に戻れる瞬間」なのを忘れては駄目です。子供でも作り笑顔をします、嘘もつきます。大人より狡猾な奴もいます。反対に大人でも、心にいつも子供心を保ち続けているような人もいますよね。きっと、人には、大人も子供もないのだと思います。出来るだけの愛情と、心から震えるような感動と、わき出してくるような楽しい興奮は、自分がここで生かされている事に気がつく、いい実感です。よく考えてみると、私たちは、この素晴らしい実感が欲しくて、人生を旅している、一瞬の輝きなのではないでしょうか。