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今年もクリスマスが来ますね。

石井竜也

12.12.01 16:46

一昨年のクリスマスは、イタリアのバチカンで、法王のお声を聞きながら、迎える事が出来ました。冬のローマは、底冷えの厳しい街です。やはり、石畳の文化は、冬は寒いですね。カソリックの最大の祭典になる、バチカンでのクリスマスは、世界中の司祭達が集い、敬虔なクリスチャン達が、世界各国の言葉で、イエス・キリストの誕生を祝う、静かで熱気のある重要な催事です。カップルは結婚を約束し、家族はその絆を確かめ合います。友人は、共に慈しみ合う事を近い、夫婦は、子ども達の幸せと、自分たちの永遠の愛を誓います。24日のイブは、システィーナ礼拝堂の荘厳なる儀式から始まり、喜びの讃美歌を人々の心に空から降り注ぐような声で、祈りの歌を歌います。その声に合わせて、法王様の聖書の一節が読み上げられていきます。こうしてイブの聖夜は、神聖なるままに静かに終わっていきます。変わって翌日のクリスマスは、全てが、メリー・クリスマスで始まり、世界中の人々がその言葉に、心を一つにします。バチカンの広場には、5万人の敬虔なる人々が、手を合わせて、法王の挨拶を待ちます。深々とと冷え込む中で、バチカン正面のドゥオーモの下の中央ベランダに法王は数人の司祭と共に現れます。聖書の一節を読み終えると、やがて、世界中の言葉で(もちろん、日本語でも・・・)メリー・クリスマスを、50カ国以上もの各国の訛りもくわえて、読み上げて行きます。これは感動ものです。僕は、実はシスティーナ礼拝堂の並びのコの字型の建物の右端という絶好の場所を頂き、その光景を見られる事になりました。殆ど屋根の上という法王を見下ろす位置でしたので、最高の光景を見る事が出来ました。歴史上の殉教者の並ぶバチカンの屋根部分には、100以上の成人の彫刻があり、その裏側からの拝観と言う幸福に恵まれた訳です。別に自分がクリスチャンでなくても、この光景には、手を合わせずにはいられませんでした。どの国のどんな人でも、厚い信仰心のある顔は、素直に美しいと思いました。なにがしか、戒めや導く光があるところに、人間の心は救いを求めるものです。これは宗教というだけではないように思いました。人間という生き物は、そんなに強いものではない。自分の愚かさを認め、弱さを認める事から、強さを学ぶ物であるという事は、この群衆を見下ろしていて一番感じた事でした。大きな人間の手の及ばない力に、手を加えようとすれば、それは神に対する反逆に等しい。年々、自然環境の大変化が地球規模で起こるこのごろの世界。経済もその動向には、ついて行けません。科学や経済は、あくまでも人間が勝手に地球の上に作った、いわば、階級制度です。お金で物事の中心を考える世界の非常識は、そのうちに天罰が下るでしょう。なぜなら、世界経済の仕組みは、あまりにも、地球を変えてしまった。人の心も変えた。戦争も起こした。全ての罪悪の根源であると同時に、人の欲望の一番汚い側面を、サタンと同じように、誘惑するからです。人間が、このシステムを、悔い改められるか?それとも、自然の摂理で、人類はこの世から消されるのか?それは、私たち一人一人に課せられた問題なのかも知れません。

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