いろんな見方。
石井竜也
12.12.23 22:27
一つの作品を、考えてみて下さい。立体彫刻は、どこの角度から見ても違う表情が見て取れます。そして、どの角度からも、ストーリーや作り手のスピリットを感じます。しかも、その感覚は見る人、それぞれの感覚で、変化します。物事の真理とは、つまりは、「決まったモノはない」という事に到達するのです。ある人からは、「だめ」と言われ、ある人からは「サイコー」と言われる。つまりは、個人個人の人生観や環境、今現在の状況や社会の雰囲気、体の調子まで関係があるという訳です。こんな事を言ってしまったら、今までの意見はなんだったの?と言われそうですが、究極は、物事の中心には、あなたの感覚しかないという事になる。あなたがこの世からいなくなれば、この世も終わるという訳です。それは自尊心とか自我とか言うたぐいのモノではなくて、肉眼とか五感とか言うモノで感じた実感が主なのです。現実社会の中で生きている限り、この体が感じる五感に支配されます。そこに、精神性とか、美学とかを入れられるのは、ほんのわずかな瞬間にすぎません。それは、気づこうとしていない事と、気がつかない事の両方のせいでもあるし、又、「気づきたくない事もある」のも確か。人とは本当に面白い生き物です。見たくないものや、聴きたくない事は、冗談や、嘘、虚飾で隠してしまい、やがて忘れ去ろうと、努力するのです。しかも、その負の努力を「善」と勘違いまでして行く。一度そのスパイラルに陥ると、仲間を見つけ出すのです。その気楽な方が「生きやすい」から、そのうち誰もがその「お気楽世界」を望み始める。本当に傷付き、現実問題として苦しんでいる人の事は、見えないように努力して行く。でも、いつかメッキは剥がれる。その時に「第2波」が訪れる訳です。いろんな見方が世の中にはありますが、遅かれ早かれ、いずれ本来の問題に向き合わなくてはならなくなる。その準備も、考えも、持ち合わせていなかったり、準備や意識もしないでいると、絶対にやってくる、「第2波」に打ちのめされるダメージは、大きくなるのも事実です。だから、まずは、彫刻を見る時には、始めに、誰もが正面と思える位置から、くだらないと思っても、見てみるといい。自分の好きな角度は、自ずと自然にそこに至ります。普遍性を見ないで、自分の好みだけを優先すると、意外にも、究極のその彫刻の素晴らしさに気がつかないまま、一生を終える事になる。このごろ、俺は、いろいろな物事も、これに似ていると考えるのです。大事なのは「これが一番いい方法なのか?」という疑問をもっていた方が、世の中やメディアとかに作られた「真実のような嘘」に踊らされるより、よっぽど良い!という事。迷っている時の方が、実は真実を見極めている事の方がこの世の中では多いかもしれませんね。あなたがもし、今、何かに悩んでいるとしたら、今が真実を知るチャンスという事になる。それは、これからのあなたの未来にも決して悪い事では無いと思います。むしろ、後になっていい経験になっていた事に気がつくでしょう。