MIND BBS 〜掲示板〜

神様じゃないからね。

石井竜也

13.02.10 12:02

いらつく時もあるでしょう、悩み込んでしまい、一家心中まで追い込まれてしまう家庭もあるくらいに、介護という二文字は大きく人の人生を惑わせ、狂わせます。そんなに簡単だったら、そんな事は起こらないでしょう?死を迎える人に向かって、生きて行く人々は、何をしたら良いのか?これも、子供と同じくらい、未来の事なのです。なぜ天国は光に包まれると、人間は考えたのか?目をつぶると、暗黒が支配します。人は亡くなれば、荼毘に付され、納骨されます。結局、そこに自分を見ているんです。介護の途中に、必ず気がつく事があります。もう、この人は、自分の父親または母親じゃない。という確信のような感覚。親なのに離れて行く感覚。寂しさと焦りが心にいっぱいになります。尊敬していればいるほど、その変化に驚くのです。・・・でも、ふと、元気な頃の瞳に戻る一瞬や、急に自分を認識する時があったり、手を貸して、立たせて上げたりする時に感じる、腕の細さとか、感触。確実に、自分の親なのです。自分を命がけで育ててくれた、親なのです。子の恩は、もう一度生まれてきても返せません。そのくらい、手間ひまを懸けて、人生を注いで、僕らを育ててくれた人なのです。イチョウの木を想像して下さい。冬から冬まで、一年に相当の変化をするでしょう。人はその一年分です。新芽が出て、夏の日差しに成長し、秋に色づき、冬には、枯れてあれだけ「わんさか」着いていた葉っぱも、ひとひらも残らずに落ちてしまう。だけど、必ず、実を落として行く。ちゃんと次の未来を置いて行ってくれるんです。介護は、一種の修行かもしれません。人は自分では、たいそう、社会の中で苦労しているような事を時々口にします。でも、それは自分のためだったり、愛する家族のためだったりするでしょう。家庭と介護を、分けて考えるようになったのは、いつ頃なのか?昔は結構冗談にして、「あのばばあ、もう、な〜んにもわかんねんだ・・・」なんて事、平気で口にしていました。でも、それは、決して今の現代人の言う差別的な発言ではなく、ボケを受け入れて、寂しさと、憂いと、ありがたさに満ちた冗談であったように思います。「愛」です。愛のある少々の悪口が、介護のはけ口になっていたのだとも思います。それに、お隣さんというのも、加わって、組織化して、一人の老人を、看取っていく風習が日本にはあった。チンパンジーとの違いは、実は子供に英才教育をさせるとかいう事ではないかもしれません。子供達は、親なんかの言いなりにはなりません。自分でいつしか道を見つけ出して行くものです。ぼやいていても、親を介護している方々は、本当の人間だと、僕は思います。もちろん、時代は、違いますから、介護方法も進化したでしょう。でも、根底にある、両親への想いは3000年前と、同じではないか?とこのごろ思うのです。お墓に手を合わせる時に、もう2度と、あの優しい声と手に、触れられない事を人は悟るのですね。みんなそんなもんです。あなただけじゃない。「苦労、お裾分け」です。自分の心情を書き込むだけでも、だいぶ楽になると思いますよ。

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