MIND BBS 〜掲示板〜

水は巡り巡って・・・。

石井竜也

13.03.01 15:25

水の大切さは、ここで言うまでもなく、非常に大切な国土を持つ人々の最低限の命です。一度、汚された水が自然の循環作用として美しいわき水に変換されるには、相当の時間と、今だったら、人間の英知と血の出るような努力が何十年何百年という時間が必要となります。こんな番組を見ました、東北のある方が送ってきた「わき水を利用した灌漑用水循環器」といっても、わき水から、階段状に5段階の小さなダムを作ってあるだけのシンプルな物です。最初のわき水は、飲用水、次が米を研ぐための水、次が土くれた野菜を洗う水、その次が凄い、なんと野菜や果物を冷やしておく場所、ここでは、洗われた土や不純物が下に沈殿する場所になっていて、最後は、洗濯場になっている。ところが、子の洗濯場が凄い機能的で、夏は、昼過ぎ夕方に女達が、ここに集まってちょっとした井戸端会議や、歌を歌う、なぜ夕方かというと、昼間は、子供達のプールなのです。子供達が暴れる事によって、下の沈殿物が、灌漑用水の方に流れていくと、その水は、すっかりその距離の中で奇麗になる、しかも、プールは、いつの間にか奇麗になっている。そこに母親達が、洗濯にやってくる、もちろん、使う物は、自然のカや、科学的な物を含まない洗剤だけ・・・。女達は、なぜここで洗濯するのか?自分ちに洗濯機もあるだろうに、そこでの会話が隣近所または国の政治にまで話が及ぶちょっとした情報ツールになっている。水場という人間引き寄せ装置になっている。美しい水の湧く場所は、人も心も、おおらかになる。自転車で通りかかったおじちゃんが、それぞれの女達に形は悪くて売れないけどおいしそうな採れたてのキュウリを配る、「ごくろうさん!」と言い合う。空の雲行きが怪しくなってきて、夜になる寸前、それぞれの食卓にそのキュウリが並ぶ。採れたてのキュウリの浅漬けがいい音を立てて、子供達の胃袋をキュウキュウ鳴らせる。「もらった物は、誰々さんからなんだよ」と、家族中にキュウリの出元が伝えられる。次の日に、顔をあわせると、「いやあ、昨日はすんませんでした、いや、あのキュウリ、うめえわ」と。何気なく会釈する。あげたおじちゃんも自慢げだ。感謝とはこんなものなのだ。あげた方も、余った物だから損した訳じゃない、もらった方も、売れ残りと解っている。だけど、そこの水場にわざわざ自転車を止めてまで、キュウリをくれたその気持ちへの感謝なのだ。こんな豊かな生活が日本の原風景には実はそこここにあった。でも、考えてみると、なぜそのおじさんはキュウリを女達に配ったか!互いに運命を共有している事を、言葉ではない形で理解しているのだ。おじいちゃんはいつか死の時を迎える。それを田舎では「くやみ」という。よく言う『お悔やみ』だ。なぜ悔やむのか?それはその人が、生前に行っていた小さな優しさから出る事なのだ。個々が人間としての、信仰心を超えた存在意義だと俺は思うのだ。きれいな水に守られながらも、厳しい自然条件の中で、ひとときの優しい時を過ごす。喧嘩も、両成敗、誰かが二人の諍いを見極めて、水場で処理する。「水に流そうよ」という事はまさにこういう事かもしれない。美しい水の流れは人をつなぐ流れでもあり、人の命を育み、看取るための情緒を作り上げるのだ。日本の科学技術がどうして、戦後これだけ発展したのか?それは純粋な水が、精密機械を作り続けてきたからに他ならない。中国は今、産業廃棄物汚染で、10メートル先も見えないような光化学スモッグの国になってしまった。地下水は、科学的な物質を垂れ流した事で、人々の体と心を蝕み、やがてそれは海に及ぶ。農薬や化学薬品の絡まりが周辺の海と川を否応なく汚して行く。心はもうズタズタだ。そんな心根の人間は、すぐにイライラする。奇麗な海を巡っての争いが始まる。尖閣諸島の領海は、日本が必死に、守ってきた漁場であり、資源豊富な海でもある。東シナ海は、今や、中国の軍事的占領下におかれてしまっている。それでも、13億人の胃袋は、餓死寸前だ。だから、沖縄まで手をのばしてくる。彼らは、自制が効かなくなってきている。水だ・・・。全ては水源汚染から始まっている国の病気だ。その病気がどのくらいの深刻な物かは、今の中国の目の色を変えて、日本を糾弾する人々を見れば解る。彼らだって、国に操られている事くらい理解している。実質上の一党独裁軍事政権下では、個人の意見など通るはずもなく、やがて、国は人民の怒りを仮想敵国に向かせる。アジアは、一つの産業の拠点として栄えてきたはずだ。GDPの格差だけで、人間の幸福感は絶対に測れない。なぜなら、本当の幸福は、心の中にあり、絶対に買えない物で、見えない物だから・・・。今、アジアで起こっている戦争の序章のようなキナ臭い事象は、全て、これから激化するであろう、世界的な飲料水争奪戦の始まりなのかもしれない。ちなみに、大阪はこの10年で水質が見違えるほど奇麗になった。大阪は元々は水の都だった。水がきれいになるにつれ、あれだけ無法地帯だった交通マナーも、改善されている。奇麗な流れは、人の心も奇麗に洗うというお話。

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