MIND BBS 〜掲示板〜

土台の不均衡。

石井竜也

13.04.24 12:35

4月の28日は、日本が大東亜戦争に負けてアメリカや戦勝国に世界から消されていた7年あまりもの事実上の占領体制から、立憲国家として国としての権利を世界に認められた日です。要するに新しい日本が立ち上がった日な訳です。戦後教育の中には平等や自由、発想や資本主義など、おおよそ、今までの日本の教育に関わる全てが、変えられてしまったわけですね。その中には、封建主義や、男尊女卑など、なくてもいい物も多くありましたが、逆に、なくしてはいけない物まで、変えさせられた訳です。道徳、愛国、情緒、文化、家族、礼儀・・・。この殆どが、『自由』という言葉でかき消され、勘違いし始めた。アメリカの『自由』とは、勝ち取り、守り、責任を負う事。日本の自由は、何でも勝手にしていい事。これは全然違った価値観として、当時の日本人には、相当ひねくれて伝わった事でしょう。それから60年以上の時間が経ち、2000年で培ったこの国に住む者としての誇りや、勇気、礼儀、人情は、軽んじられ、『古い』というだけで、そんな物には何の価値もないような教育が始まった。スピードは、歩いて旅した頃から新幹線になり、飛行機になり、食べ物は魚から肉に変わった。体型も考え方も、多分、この小さな火山国には相応しくはない作りになったのだと思う。挨拶はローマ字じゃない。アイサツでもない。「ありがとうございました」「いいえ、どういたしまして」は、礼儀じゃないんだな。これは人情、気持ちなんだ。子供は親の後ろ姿を見て育つ。挨拶したあとに後ろを向いて、今挨拶した人に対して、馬鹿にした顔をすれば、子供はそういうもんなんだと思う。まっすぐに生きるというのは、素直に自分を出す事ではない。意外にも、不自由なもんなんだ。それをして、「私は不幸だ」とか思うのは勘違いにも甚だしい。積極性と、出しゃばるのが違うように、教育に「生き方」を学ぶ場所が欠落している。まずは『自由』の意味から教えるべきだ。若さ故、ふざけても、馬鹿やっても、悪さをしても、反省と、迷惑をかけた人への謝罪の気持ちがなくなれば、それは犯罪者とかわらない。その根底には自由という物の考え方があってしかるべきなのだと思う。躾は家庭で責任を負うもの、教えは学校が責任を負っている。躾まで学校のせいにするのは、愚かな親だと思う。教育こそ、国なのだと思う。その国がどんな国になりたいか?という定義を世界に見せる場所なのだと思う。それなくして、五重の塔も、神殿もないと思う。「ここで生きている」という実感が、人間形成をするのだと思うのです。親は、厳しさを内包した無償の愛情で子供を見るべきで、それは一人では絶対に出来ない。周りの協力や、雰囲気が未来を育んで行くんだと、僕は思う。「健やかに」というのは、健康にという意味より、自分の中の一本の神聖なる場所を見つけなさいという事でしょ?影響されていい場所と、影響されては行けない場所が、文化にも、人にもあるのだと、本当にこのごろ思う。人間は、家柄にあぐらかいてふんぞり返っている奴はこっちにおいといて、ことごとくすべてが労働者なのだ。体を動かし、知恵を使い、多少の努力も惜しまず、礼儀をわきまえて行動する労働者なのだと思う。統計や金でしか人間を判断出来ない社会は、いつか崩壊する。大地震なんて必要ない。人の秩序がなくなれば、自ずとその国は崩壊に向かうしかない事を、一人一人が認識するべき時代になったんじゃないかな?

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