人の力の素晴らしさ。
石井竜也
13.05.01 11:47
米米CLUBから始まった、俺の歌人生は、もうすぐ30周年を迎えようとしている。その中で点滅し続ける、全国のファンのみなさんや、スタッフのみなさん、関係各所での出会い。俺は、無理もしてきたし、いくらか、憎まれてしまった事もあった。いや、未だに俺を大嫌いな人もいるかもね。だけど、何か新しい事をやろうとすれば、妨害や、妬みや、嫉妬など、自分とは関係のないところで、発生する事は、多くを相手にすればするほど、あるに決まってる。どだい、俺のいる世界では、当たり前の考えじゃ、やって行けない。かといって法律を犯せば、いち早く罰せられてしまう。自分に忠実に生きたいと思いながら、ここまでやってきたが、何が自分か?という根本は、なんだかぼんやりしている。もっと前の方が、はっきりしていた感じだ。この事を突き詰めると、見えてくる自分と言う存在。結局、みなさんを含めいろんな人の力で、俺の作品は、磨かれていた事に気づくんだな。なんだか、何も考えず突っ走っていた20代、自分を必死で出していた30代、自分のやりたい事と、周りから求められる事の狭間でもがいた40代、そして始まったばかりの50代と時間を経てきて、今思う事は、結局、自分一人じゃ何も出来ないと言う事。作品を作るという行為だけじゃ、みなさんの耳には届かない歌。アトリエに放置していれば、何の意味もなさないアート作品。そこには、外側からまたは内側から、俺の作品を評価し、世に出してくれるスタッフがいたからこそ、少なくとも『石井竜也』という存在は、そこから紹介されて行く訳だ。そこでもう一つ深く考えてみると、いつのまにか、自分が出来そうもない事まで出来ている自分に気が付いて行く。最初は、無理難題、不可能と思うけれど、その問題を解いて行くために冷静に自分を見つめていると、なぜそれを俺に求めているのかが解ってくる。俺はずっと、アーティストのあるべき姿は、「自分からの発信」でしかない事だとかたくなに、考えてきた。でも、そんな小さな事じゃない。いろんな才能に出会い、刺激し合い、そこで起こる化学反応を楽しむ事。実は、みなさんとの関係もそうなんだ。ステージに立つ者としての存在感は必要としても、作り出されたものが既製品に見えないところが、一番大切である事がこのごろやっと解った。そしてそここそが、一番の自由を感じられる場所じゃなければならないんだな。そこはあくまで俺の表現に興味がある人々によって構成されている事を絶対に忘れちゃいけない。それはとってもありがたい事なんだよね。こと、アートという分野は、自己完結の世界。でも、その作品に対して、認めてもらう、あるいは批評されてこその作品である事を忘れちゃならない。俺はずっと、自暴自棄と戦っている。自信なんてモノはこの世にはない。瞬間、瞬間の煌めきを細い線でつないで、いつの間にか面になり立体化して行く。その感覚はクモの糸に似ている。最初は、気の遠くなるような、まるで無駄な事をしているようにも見える、でも、そんな繰り返しが、実は出すばかりではない事に気がつく、そこにはエネルギーがあり、糧があり、確実な存在感があり、命があるんだな。実は自分の生きる栄養素の殆どが、そこにあった事を30年も続けてやっと、体感出来ている。今の自分には、自信ではなくて、柔軟性と絶対的な個性のほうがとてつもなく大事であるという事が解る。自分で作り出しているとばかり思っていたモノは、実はいろいろな方の意図も複雑に絡み合わせて、構成されていた事に驚くんだな。この驚きを作るための、知るための30年だったのか!と今は、思っている。人の力は本当に素晴らしい。感動は、その愛に報いてこそ、表現出来る、ある意味での『誠意』なのかもしれないな。