人は、なぜ「めげる」のか?
石井竜也
13.05.08 22:51
自分の理想が、何となく変なリアル感をもって、目の前に半透明にある。あなたは、それを一応の理想と定める。だから、そこに自分で違反する事を許せない。違反した自分は、自分が勝手に作った理想郷の中では、はみ出し者になる。誰もそんな事を思っていないのに、自分で人を、自分の理想から外れた「はみ出しもの」に仕立て上げてしまう。勝手な理想は、勝手に脱落した自分を、あざけり、自分の勝手に作り上げた理想郷から、追放までする。行き場を失った、自分は、そのとき、はじめて、意外にもはっきりとしていたように思っていた理想像が半透明である事に気がつく。半透明は、朦朧とした理想にも関わらず、あなたは、自分をいじめつくす。「自分は、あんなところまでも行けない、弱い人間だ」とね。理想は、夢じゃない事に気がつけばいいだけの事。理想を追うのではなく、理想は眺めているだけでいい。少女がバービー人形に憧れているのと同じ。小さなお城に作られた窓を開けると、そこにリッチなお部屋があって、ここに入りたいと思う幼女と同じになってしまう。だから「めげる」おぼろげな理想は、厄介な幻想なんだな。夢は、あなたを「生き生き」させるために、手を差し伸べるモノの事だと思う。夢はなんと言っても、簡単な言葉で表させる。半透明でも、朦朧ともしていない実態を持って、確実に掴める空気や感性、音や香りを持っている、「夢は実感を伴うあこがれでなければならない」理想を追い求めるとき、絶対に一度立ち止まり、自分自身が、どんな状態かを確かめるといい、脇目もふらずに邁進するという事が、醜く感じたら、または「痛い」と感じたら、それは、しなやかに夢を追いかけるあなたじゃない。夢は、もっと、感触がある。夢はもっとあなたに豊かな優しさのある場所を教えてくれる。痛みを、忘れさせてくれる。感動と、興奮で、まるで自分が明るい光に照らされているように思う。感覚は確実に「しあわせ」だ。夢中すぎて、鼓動を押さえられないほど、興奮している自分がいて、その表情は、まるでお花の部屋を見つけた時のように高揚し、静かな期待に胸が膨らむ。夢と理想は、全然違います。追いかけるなら、出来もしない理想を追いかけるより、掴めるかもしれない夢の方を追いかけて。