中国との距離が広がっている。
石井竜也
13.05.13 12:53
一旦戦争になれば、どういう事になるか?知りたかったら、シリア情勢の映像を見るといい。儚く、何も生まれない全く非生産的な喧嘩。愚かでどちらが勝ったかも解らない、無慈悲な戦い。同じような顔で、同じような文化が衝突する悲劇。アジアはこういう事をしてはいけない。中国は道教、韓国は儒教、日本は仏教が、主なる宗教だが、元々は、みんな仏教国だった。同じ考えや教えは、アジアのどの国にもあるはずなのだ。「話し合っても、解らないから殴るんだ」こういう思想は、破壊と悲劇しか生まない。同様な事は、家庭でも起こりうる。男は、女を殴ってはならない。もちろん、子供は論外。男なら、自分より強い相手に飛びかかれ。自分より弱い相手に対して、暴力で威嚇するのは、この世で一番の愚行だ。理由は関係ない。男は、いざという時には好戦的なるのは解る。(俺もさんざん喧嘩してきたから)だが、相手を間違ってはならない。格好つけてる訳じゃなく、女性が国を作る。子供が未来を作る。それを守るのが男の使命だ。老人は、過去を語る義務がある。二度と同じ間違いをしないよう、老人は、過去を語り、くいとめる役割がある。この事を絶対に忘れてはいけない。一度始まった戦争は、大切なモノから、破壊されて行く。一番愛する者から、攻撃される。こんな事を、繰り返さなければならなくなる。戦争は戦争をどんどん生んで行く。収束は、兵隊が一人もいなくなるまで続けられる。そこには家族愛や、愛国心、もはや理由さえ存在しなくなる。ただの殲滅するだけの戦いだ。殺し合いの大規模なのを戦争という。スイッチを押す方は、そこに人が生活している事など考えない。命が一杯ある事も、考えない。才能にあふれているなんて、もちろん考える事なんかない。「やってはいけない」と、倫理的にも、法律的にも、宗教的にも、人間としても、共通認識としても、決められた事が、全て破られるのが戦争だ。攻め込めば、そこでする事は全て勝者に許される。「勝てば官軍」この言葉の重みは、どんな卑劣な方法をとっていたとしても、勝者は、正義になるという事だ。でも、戦争で勝ったにせよ、勝った国の兵士もまた、負けた国の兵士とかわらないくらいに傷付き、心に二度と忘れられない罪と傷を一生、持たせられる。戦争とは、人間が起こす、最大の愚かしい決着方法だ。最近アメリカで開発されたミサイルは、空中爆発をして、港区ほどの範囲を、一発で破壊するという原爆の次に破壊力をつけた爆風型ミサイルだ。そこにいた人の形はとどめない。この開発に何の目的があるのだろうか?「威嚇」というパフォーマンスで終わればいいが・・・。世界がこんな物を使い始めたら、一体、この地球はどうなるのだろう。文化や、文明は、どうなるのだろう?家族は?友達は?恋人は?子供は?老人は?妻は?若者は?・・・何より、人は?この文章は、アジアに向けて書いている。恐ろしい事は、意外にも急に弱い部分から、やってくる。勇気は、戦うためにあるのではなく、戦わないことも勇気なのを忘れてはだめだ。理解出来ないなら、理解出来るまで、話し合えばいい。物別れになっても、殺し合うよりいいに決まっている。今、日本の外交手腕が一番の突破口である事を、忘れないでほしいものだ。平和を維持する事がそう簡単でない事は、理解出来る。しかし、戦うという選択肢を安易に選ぶ事の方が、100倍簡単な事だと思う。理念と理性はどちらも大切であり、現代において一番欠落している事でもある事をもう一度考えよう。