MIND BBS 〜掲示板〜

沖縄平和祈念公園

石井竜也

13.05.19 00:20

今日、仕事の合間を見て、沖縄の糸満にある、沖縄平和祈念公園、並びに平和祈念資料館を訪れ、第二次世界大戦で亡くなられた幾万の慰霊に対して、手を合わせて参りました。久米島でもお世話になっている、沖縄です、せめて仕事で来たときには、大きな悲しみの歴史があるところには、手を合わせるのは、礼儀を通り越して、当たり前の事だと、思っております。ここで、僕は、あの時の玉砕戦争で亡くなられた兵士はもちろん、市民も、敵軍であるアメリカ人も、日本のために従軍させられた各国のアジアの方も、全てが、その名前を、御影石に連なっている事に、非常に感動しました。・・・確かに、どちらも、祖国のために命を落としたに代わりはないし、かつての宿敵さえも、墓碑銘に刻む、沖縄という場所、・人の懐の深さを感じました。そして、これだけの傷を受けながらも、力強く海の民たちは、今も、揺れる政治に我慢に我慢をしながら、島の発展・幸せを考えている。「本当のたくましさ」とはこういうものです。海はどこまでも蒼く、日差しは、夏をも感じさせる強さでした。その光がこの島で戦い、犠牲になった幾多の命の名前を、照らし出しているように見えました。資料館の方にも御邪魔して、じっくりと、沖縄の歴史観や信仰、悲惨な時代の数々の遺品や、今も、地中に残る数万もの不発弾を、見せられているうちに、僕がそこはかとなく広島のGROUND ANGEL in HIROSHIMAのときに勉強した、本に載っていたままの塹壕やただ崖っぷちに無造作に掘られただけの野戦病院の様子、当時の人々の遺品の数々。累々と、地層の様に、層を成して積まれている機関銃や、頭に穴の開いたヘルメットなど、筆舌に尽くしがたい惨状が、陳列され、当時の状況の凄まじさが、かいま見れた事は、又、俺の人生に深みをもたせて頂いたようで、お参りを済ませた後は、なんだか、心がすっきりしていました。いろいろな事で揺れるこの国を、この慰霊達は、天からどう見ているのだろうと思うと、情けなくなりました。誰しも苦しい事はある。悔しい事も、負ける事も、自暴自棄に陥る時も・・・。だけど、この人たちは、そんな余裕さえ与えらえず、しかも、苦しみに苦しみながら、亡くなって行ったと思うと、言葉もありませんでした。糸満は、アメリカが本土上陸作戦の拠点として、日本軍と、ある意味、肉弾戦を行った場所。日本軍の命令は、生きて陵辱を味わうなら、玉砕しろというものでした。残酷を通り越して、愚かさとむなしさしか浮かんでこないこの命令。住民にまで青酸カリを渡し、集団自決するように命じられ、教育されていた訳です。そして、その後の嘉手納基地との、住民闘争。沖縄という所は、ある意味、日本に振り回されてきた歴史でもある事を、思い知りました。そして、戦争は、ミサイルを発射する事で始まるのではなくて、責任ある者のたった一つの言葉や行動で起こりうる事なのだと言う恐ろしさも、同時に感じました。「欲する」というのは、人間なら誰しももつ業です。でも、死ぬまでこれを追いかけてはいけない。男でも、女でも、人間は、勇気の後ろに謙虚があってしかるべきだし、また、それがその国の人間性を計るバロメーターである事を、僕たちは忘れてはいけないんですね。

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