生きて行く事。
石井竜也
13.05.30 03:44
まずは「命」があります。その周りにも、命を見つめる命があり、言葉には出さなくても、あなたを見つめている目もある事を、まずは忘れないようにして下さいね。死生観という物は、どの文化やどの国、もちろん宗教によっても違います。だから一概に孤独死が、不幸だ!とも言えません。うちの親父は、その運命の日、家族では手が足りなくなる頃、老人介護の完備された、老人ケア・ハウスに移しました。その時にはもう既に、俺や家族の名前さえ、言えないような状態でした。薬で眠った父親を見て、いったん自宅に帰ったその時に、電話が鳴りました。そこの係員の方が、一人、暗がりのベットで、死んでいた親父を発見したそうです。悔しさと、悲しさで胸が張り裂けそうでした。今考えてみると、あんなに華やかで、楽しい場所が大好きだった父親を、俺は暗がりで、しかも、たった一人で息を引き取らせてしまったのです。かなりの時間、自分を責め続けながらの仕事は、あまりにも残酷に思えました。でも今は、こう思っています。家族がいてもいなくても、人は死ぬ時には一人です。見守ってくれる人がいるかいないかというだけで、結局は一人なんです。俺は今でも確かに、父親の死に対する責任は痛切に感じていて、とんでもない時に涙が出る時があります。つまりは、生きて行く事とは、そういう計画なしの事が多いという事です。偶然や、奇跡なんてのは、「あるかもね?」程度ですよ。だいたいは思いも寄らない事が起こる訳です。その時にどう対処し、どう感じるかが、人の道なのではないでしょうか?人生は一回限り、俺自身は、無宗教なので、天国も地獄も信じてはいません。どこか、遠い宇宙の果てに、そんな場所が合って、そこに一瞬で運ばれ、宇宙のためにエネルギーの一つの微粒子になるのだろう・・・くらいにしか思っていません。でも、だからといって、生きる喜びを捨てられないし、全うするまで生きるしかないのです。自分ではどうしようもないしね。それだったら、自分が責任を持ち、最後の最後まで、何かを作りながらいなくなりたいです。これが僕の最高の死に様です。とはいうものの、実際は、そんなかっこ良く死んでなんか行けないでしょう。今の時間を大切にする繰り返しが、人生を楽しく彩ってくれるのだろうと静かに思い描いています。思い出を担ぐんじゃなくて、思い出の固まりの上に、腰を下ろして、考えて行くのもイサギの良い事かもしれませんからね。