咲かない花も良いもんです。
石井竜也
13.08.05 03:00
「花は、咲いて当たり前」という考えは、ある意味「肉はパックに入っている」と同じ意味になります。数ある花の中には、咲かない花もあるのです。でも、僕は思うのです。でもその咲けなかった花も、花には違いがない。たまたま、気候のせいか? 人災か?何かの加減で、咲けなかったのです。でもこの季節が来て、きっと、咲こうと努力したはずです。一生懸命、水を吸い込んで、養分を取り入れて、弱い体を一杯にのばしてお日様を受けようとした事でしょう。彼女の努力を、計り知る事は出来ません。でも想像はできます。花は花のように生きたい。人間が人間らしく生きて行けるのが幸せのように、どの生命も、そのありように忠実に、自然と平和に暮らしたいのです。憎まれ口を叩きながら、母親の弁当の温かさを、鞄から取り出して、ほっぺたにくっつけて、僕はいつも真冬の登校を我慢出来ました。「ああ、今日も卵焼きだよ・・・」と思いながら、嬉しくて、スキップまでしゃちゃった。子供が親を思うときの表情はそんなときです。夏休み、海水浴に行った時、パラソルの下でお父さんがビールを飲んでいて、言った言葉「水平線を追っかけて行くと、いつの間にかここに戻るんだぞ」ってね。学校から帰ってきた時に、破けたつま先を見つけて、お婆ちゃんが言った言葉「どれ、その靴下の穴、縫っといてやるからこっちによこしな」俺は、当たり前のように靴下を渡す。するとあばちゃんは「こうやって、繕っているのが、おばあちゃん、だ〜い好き!」こんな愛情に満ちあふれている言葉がありますか?おじいちゃんに叱られてメソメソしてたら、おじいちゃんがそっと、泣いてる俺の耳元で行った言葉「お前は、お父ちゃんにそっくりだ。お前は甘っちょろい人間にはなるなよ」あの笑顔は一生僕の心の宝です。そして、最後を迎えた頑固爺を最後まで看病した母親が行った言葉「おじいちゃん、はじめて、ありがとうなって、言ってくれた・・・」なんだかその時にお袋の顔は、重い荷物がなくなって楽になったというより、大切なものをなくした顔だった。感謝して生きて行く事を、僕の両親は教えてくれました。子供に教える事なんて、大層な事じゃなくて良い。立派になれ!!なんて、言わなくて良い。「お前には、お前の良さがきっと、あるんだよ」って、ただそれだけで良いのかもしれませんね。人は、一度しか生きられません。花が咲こうが咲かなかろうが、ただ一度なのです。花が咲かなかったから、気の毒とは思いません。花は咲いてこそ当たり前とも思いません。そう思うと、咲かなかった花には、「よく頑張ったね」と、頭をなでられる。咲いた花には、「よく咲いてくれたね」と、これも頭をなでられる。結局、咲いても咲かなくとも、花は、花。奇麗なもんです。