MIND BBS 〜掲示板〜

こそこそしない。

石井竜也

13.08.10 23:22

日本人は、何かあると「自分のせいではないか?」と思いがちな人種です。だから、自分がちっとも悪い事をしてはいないのにも関わらず、自己嫌悪に陥りやすい。この間、未だにこういう人がいるんだ?と、思った人を町で見かけました。それは、・・・携帯に向かって謝罪している人。確かに自分に非がある時には、社会人として、当然謝るべきです。でも、ケイタイに頭を下げてどうする? 人は、その人の目を見て話してこそ、物事の真意、あるいは、どうしてそのような事に陥ってしまったのかがはじめて理解出来るものです。顔も見えない相手に向かって、謝罪する事は、それで既に、誤解を最大限に広げているのに近い。自分に非を認めるなら、自分から、釈明を相手の目を見てするべきでしょう? そりゃあ、どう見ても、極悪な犯罪は別ですよ。僕が言っているのは、日常ありがちな、意見の相違がもたらした失敗とか、言ってはいけないような事を、怒りにかまけて言ってしまったとかの軽いものです。でも人間関係は、それでもだいぶ大きなダメージになる。だからこそ、謝罪する時には、堂々と、自分の過失部分と、相手様の自分とは違う考え方の精査をした上で、きちんと認め合う。これが謝罪です。本来の謝るという行為は、決して名誉な事ではありません。でも、そこに自分の理念と、相手方の尊重のある理由が存在すれば、お互いは必ず解り合えます。一方的にこっちだけが悪いだの、あっちが全て悪だ!だのは、よくよくの事以外、なかなかないものです。話し合い、解り合う努力も飛ばして、目の見えないところで、・・・それも、ケイタイで謝罪している人を見ると、逆の事をしているな?と僕は思います。自分のした行動が、相手より1ミリ悪くても、まずは、それを認めて謝る。その次にする事は、なぜ、ああいう事になったかの経緯をお互いの立場に敬意をもってお互いで精査する努力。これがなければ、謝罪は社交辞令に過ぎません。日本を冷やしている現状があるとすれば、ほめる事の手抜きと、謝罪の仕方です。これほど、人の心を傷つけたり、認められない苦しみに苛まれる事はありません。お互いの立場の範囲で、心を教え合う行為は、社会という秩序の構築で一番、高尚な人間の行為だと僕は信じております。

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