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この国の誇り。

石井竜也

13.09.19 10:54

歴史認識の話題が今、いろいろな所で取りざたされています。「過去に学べ」は、何度もこの世界中で言われ続けている事ですが・・・悲しいかな全く学んでいない。特に日本は、戦後教育という脆弱な教育改革により、骨抜き状態。若者は、国の本質を学ぶ機会も与えられないまま大人になり、社会のあまりの厳しさと、流れについて行けなくなり、自殺する。「平和」を語るなら、過去の歴史の反省なんて、何の意味もない。まずは、何がどうなって、あんな戦争を引き起こしたか?ここから知るべきでしょう。それを心情的に熱弁するのは、ちょっと違うのではないか?と思います。歴史は生き物です。第一次世界大戦から、第二次世界大戦までの経緯も相当関係があるし、そもそも倒幕の薩長連盟までさかのぼる訳です。となると、関ヶ原も、大阪夏の陣、冬の陣も?というように、国は常に戦いの中にあったといっても過言ではないのです。しかも、過去の戦争は、同じ国の人間同士での戦闘、殺し合いでしょ。人間のそもそもの残虐性を、考える時代に来たのではないか?とさえ思います。これは、自分自身や、日々の生活にも影響してくる事で、家庭内暴力や、いじめの現実にも関わってきます。それと同時に、今の日本の有事とも言うべき、福島の処置や東北への復興問題にまで、話は及ぶ訳です。人は、自分に災害が及ばない限り、なかなかその本質を知る事は出来ません。せめて想像する事は、ある意味での「平和」の享受には不可欠です。それが出来なかったから、戦いが起こったのか?・・・まあ、これはちょっと違いますね。世界大戦という次元にまで事が及ぶには、世界的な状況と、追いつめられた国民の数が関わってきます。大きな戦争は、世界経済が疲弊し、世界の半分以上の人口が、不幸であるという心境に見舞われたときに、その一番の元凶である国から始まるものです。何より自分に誇りが持てない・・・自信がない、何をやってもしょうがない・・・「あきらめ」は人を絶望に陥れます。人は一人一人が違う人生を歩いています。隣の人生と、自分は違うのです。それが当たり前と思えなくなり、自分だけが不幸だと思うと、頭にもきますよね。だけど、上手くいっている時期なんてのは、人生でほんの数年です。そんなものなのです。ところが、その数年を見て、あそこはいいなと思う。比較論というのがありますが、統計を基準にして、自分の人生を比較しては駄目です。もちろん、あきらめても駄目です。人生はあきらめた時点で収束に向かう。国も同じです。僕が福島の問題にここで言及し、球美の里まで支援して反逆しているのは、この誇りを失った『あきらめ国家』にならないようにしたいだけなのです。これは、何もアーティストだからとか、政治家になりたいとか、ジョン・レノンになりたいとか(笑)、僕もそこまで馬鹿ではありません。自分の生活にも関わる問題だから、真剣にならざるを得ない事を、理解しているからです。実は、この頃、僕は右傾化してるとか言われているらしく、笑ってしまうのですが、サッカーの試合で「君が代」を歌ったせいでしょうか?それとも、第56回植樹祭に出たからでしょうか?それとも、神社仏閣のコンサートが多いからでしょうか?・・・どれも全然違う。僕は日本人です。この国にはどの国にも劣らない素晴らしい歴史が存在しています。それを右傾化してると言うのなら、これは「愚かな意見」だと思いますね。単純に「君が代」は、国家です。日の丸は国旗です。どちらも、歌と形です。僕は単純にこのマークとメロディーが好きです。これほど美しい歌を国家にし、これほど美しいマークを国旗としてる、日本という国のセンスが単純に好きなのです。天皇制もこの国の個性です。否定するしないの問題じゃない。この国には、必要な要素だからこそ、千年以上、ある意はその倍以上続いている訳です。物事には、それぞれ、理由というものが存在する事を忘れると・・・「国」という集団は崩壊します。古事記(あるいは日本書紀)をよく読むと、見えてくる大きな事があります。それは、永遠と、この国が信じている秩序や美意識、信仰です。自分をもたない者は、他の要素をうらやむようになる。この国には全ての要素が既にある事に気がつくでしょう。それは全て貴女のおじいさんやそのまたひいおじいさんが必死に作ってきた「歴史」という財産なのです。これは誰にも否定出来ません。そして、他の国から否定される事でもありません。今の日本では、こういう事を言う事自体、右傾化だとか言われます。だいたい右だの左だの、どこから見ていっているんですかね?言っている奴らはどちらかに傾いているから、その位置からすれば右だ!とかいうことでしかないでしょ?じゃあ、そういうアナタは、左ですか?という事になる。物事の中心というのは、イデオロギーだの科学文明だの、主義主張のように時代によって変わってしまうものではありません。もっと、心の深い部分にあるものです。そういった「まがいもの」が入り込めない部分にこそ、物事の中心は存在するのではないでしょうか?歴史認識の前に、まずはこの国に誇りを持つ事を、忘れてはいけない。自分の生まれた国でしょ?この国に意思を置くなら、自国を否定しちゃいけない。同じ国民が苦しんでいるなら、助けて当然。当たり前の事なのです。僕は自衛隊でも国防軍でも何でも構わない。呼び方にいちいちケチをつけるつもりもないです。問題は内容です。その武器で他国の自由を奪うのだけは許せません。侵略や略奪戦争を企てる要因なら、即刻、排除です。でも、この国を防衛し、命や生活を防御するために必要なものなら、それは当たり前の準備です。地震対策で、水や食べ物や、簡易トイレ、懐中電灯を家庭に備えるのと、近い場所にあります。特にとなりの人が「危ない人」の場合は、なにがしか一家の長は、バットくらい用意するもんです。・・・ま、向こうがピストルというのもありますが(泣)。いずれにせよ、危機感をもてば人間という生き物は、いつ来るかもしれない攻撃に対して備える訳です。これは自然災害でも同じです。スズメバチが自分に向かってきたら、なにがしかの防御姿勢をするのと同じ事です。それでも、一カ所くらい刺される。・・・アレは酷いです。さて、「この国の誇り」に話を戻すと、つまりは文化の集積なんです。必要なものまで捨ててきてしまった歴史の国も沢山ある中、日本は未だ文化意識を高く保っている。(AKBさんとかの事ではなくて、いや、アレも文化か?ま、それは敵を作るからやめよう!)これは、キリスト教の方々が、十字架を見ると、背筋がのびるように、我々日本人であれば、鳥居を見れば、なにがしかそこに「畏敬の念」や「畏怖の念」をもって当然。信仰とは、自分で作る物ではないのです。その国の歴史と、気候風土や食べ物、心でしか感じられないもの・・・そんなものが信仰というものなのです。国の誇りは、そこにこそ存在意義があるのです。つまり、その国に住む人々の「心のよりどころ」であるという事です。それが安心や平安、安らぎを作るのも事実です。「よりどころ」を破壊されたり攻撃されれば、守るしかない。神道には「三種の神器」というものがあります。光と影を表す「鏡」、富と幸福を表す「曲玉」、そして国と心と大切な命を守るための「剣」です。これを軍事的に利用した奴らは、実は本当の左翼です。これらの意味をもつ神器は、平穏なる人生を送るための「備え」である事を忘れている。この意見を古くさいと思うなら、近くの神社に行けばいい。アナタの心の構造が、意外にも見つかります。

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