中秋の名月
石井竜也
13.09.22 04:11
「月を愛でる」という意識は、遠く縄文の頃からあると思われます。人々は夜、満月のあまりに明るい「夜の太陽」をそこに見た事でしょう。しかも、太陽より母親のように心に寄り添ってくる月の存在は、いにしえの日本人の心になにがしか、神聖なるものの存在や、自分を見つめ直すきっかけを作り続けているのだと思います。こういう自然の大きな儀式を感じなくなくなる事くらい、悲しく、哀れな事はないと思います。それは単に美しさやその国に住む人々の心がガサついている証拠だと思わざるを得ない。「忙しくてそれどころじゃない」これが名月を見ない事情なら、貴女は相当疲れているという事です。心に余裕が持てないでいるという哀れな事です。月は神代の頃から畏敬の念を抱かれてきた美しさの原点の一つ。この感覚は自然災害に痛めつけられながらも必至で生きてきた民族ならではの、美意識かもしれません。イスラムでは、下弦の月がシンボルとしてマークになっていますが、日本の尾形光琳は、六分の月を描きました。三日月でも満月でも、下弦でもない、いつでもあるような月です。中秋の名月以上に、月・自体に対する日本人の心がいかに神秘を感じていたかが、伺われます。戦争も憎しみあいも恋愛も友情も、家族愛も、全て見てきた月の存在に私たちは、一つ一つの微妙で繊細な名前を付けて月と対峙してきました。科学的に見ても、月のある場所は、奇跡というしかなく。こういう衛星をもつ惑星は、宇宙の中に、わずかしかありません。太陽と月の距離がこの位置じゃなかったら、僕たちは栄える事が出来なかった。花は咲く事も出来なかった。文化も生まれる事はなかったでしょう。宇宙に無限にあるアミノ酸を細胞に変え、命というものをこの地球上に誕生させた奇跡の星・地球。変な話、隣の国に嫌われて初めて、地球人である事に気がつきました。地震や津波、自然災害全ては厳しく辛い事ではあるけれど、地球が生きている事を教えてくれます。またここまで高度に発達した文明がもつ、破壊的な自然環境の軽視に世界中が気がつき始めています。温暖化が地球の大きな周期ではあっても、自然以上に加速させているのも人間です。どれだけの事がこれから出来るのか解らないけれど、未来の人々には、「あの時代の人は大変な間違いをしていたよな」と言われたくないものです。70億人の覚悟が試されているのかもしれませんね。