父の戦争
Y
13.10.27 03:38
石井さんの直近の書き込みの日時を見て、同じ時間にここにいたことがわかり、すごくうれしくて書き込みます(こんなきっかけでよいのかしら…)。
その時間は、最近の書き込みから遡り、目に留まったものを読んでいまして、6月8日の「本当のやさしさは~」から5年前に亡くなった父のことを考えていました。父が逝ったのも6月でした。
私が両親の下にいた頃、家庭としては色々あり、父に対して複雑な思いがありました。だからと、父の死そのものに対して安堵しているわけでも、逆に悲嘆に暮れているわけでもなく、「人は死ぬんだなぁ」「会えないってことなんだなぁ」ということを、ただただ思ってきました。そしてそんな感じ方をしてしまう自分を、どうなのだろう?冷たすぎるんじゃないか?と思ってきました。でも、父のことを思わない日はなかった。
晩年の父は母も「変わった」と言うほどで、私を膝に乗せて遊ばせることもなかったのが、孫にまとわりつかれてもそのままにさせていたくらい。父がぽろっと口にした中でもショックだったのが、「機銃掃射が終わって戻ってみたら、銃弾が細かく正確な幅で撃ち込まれていた」という戦争の話と、「イヤな世の中になっちゃったなぁ」という現在の世の中についての話。葬儀の後、母は父に関するものをほとんど捨ててしまいましたが、1冊だけあった小さなスケッチブックは私が譲り受けました。絵描きになりたかった父が描いたものでした。風景画のスケッチの裏に、銃とゼロ戦が描かれていました。
戦争を体験していない自分が反戦をどう扱っていくべきか、子どもたちに戦争をどう伝えればよいのか、問題だらけの社会でどう生きていくのか、どう子どもたちを育ててゆくか、本当に悩みますが、自分はどう考えるかを伝えること、子どもたちの疑問に真剣に応えること、一緒に考えることはできる。そのためにも知らなければ。