SPECIAL2 〜特別企画2〜

Chapter5. 現場からの声~北茨城市でのボランティアに参加された方のメールより~

このページをご覧になられた
北茨城市のボランティアに参加された匿名希望の方から、
MIND from MINDへメールを頂きました。
災害直後の被災現場における心温まる支援の心意気が
リアルに伝わってくる内容でしたので、
ご本人の了解を得まして、こちらで掲載させて頂きたいと思います。

対談を拝見し、北茨城出身の石井さんが、こんなにも故郷を、そして被災した茨城及び東北に対してなんとかしなければならないと思慮されていることを知ることができ、大変嬉しく思いました。
言葉の重みが、わたしたち一般人とはまったく異なる性質をお持ちと思われる著名人の方々は、故郷や生まれ育った社会・環境に対して一層の慈しみの気持ちを持たれているのでしょうか。彼ら全員がそうではなく、石井さんだけの特別な感情かもしれませんね。

そこで北茨城市にてボランティアを体験した一人として、被災直後の北茨城市、市役所内の状況をお伝えし、知って頂きたいと思いメールをさせて頂きました。

今回のような大震災を経験することは、どの自治体でも想定することは困難だったように思います。 だたし、一般的には災害訓練という名目で有事に対する訓練は怠りません。北茨城市では去年、石井さんもご存知と思われる大津港に建設されておりました「ようそろう」という建物付近の広大な面積の土地で、茨城県の全体訓練を行ったばかりでした。県内全域から集まった自衛隊及び消防・警察関係者による災害訓練です。いま思えば、それが功を奏した場面が複数思い出されると市役所職員が後に回顧していたそうです。

3月11日の震災発生直後、先の防災訓練から防災対策の初期動作は他自治体と比較してもすばらしいもので、市内の避難所の設置、食料の確保等は素早く対応できたそうです。 偶然ですが、去年の10月に市とJAもしくは近隣のスーパー等大型店舗との間で災害時協定が結ばれていて避難所に最大4000-5000名の市民・近隣の市町村からの避難民への食料の炊き出し作業に迅速に対応したのだそうです。 農協から市役所へ大量のお米が運ばれ、スーパーからは塩やサランラップなど。 職員は30-50人体勢でおにぎりを作り、一食7000-8000個のおにぎりを1日3回、初日には深夜4時まで握り続けたそうです。「一生分のおにぎりをつくった。」と笑っていましたが、その手は塩で真っ赤に腫れあがっていました。 恐らく市役所職員は、それぞれの家族の安否情報を確認できぬまま、自宅へ戻ることもなく、2週間から20日は市役所内に缶詰状態でライフラインの確保や、食料の供給のため働いていたと思います。

それは昔のような「お役所仕事」という悪いイメージではなく、不眠不休で市民に尽くす姿でした。実際に市役所や行政とはまったく関係のないわたしではありますが、職員数が足りない現状を聞かされ、震災3日目からボランティア活動ということで、炊き出しや給水活動を2週間~20日ほど協力させて頂きました。その中で目にした職員の働きは心底頭が下がるもので、全員が一丸となって災害に対処している姿は目にした者しか分からないと思います。行政に従事しているからと、当然のように思われるかもしれませんが、彼らのがんばりがあったからこそ、迅速な電力・上下水道の復旧が北茨城では可能だったものと思います。 大変残念なことですが、あれだけ一生懸命に従事していても、市民からは正当な評価をされない場合もあるようです。なかなか目に触れることのないことなので仕方がないのかもしれません。

港湾関係者の間では、地震=津波という思考経路はごく一般な当たり前なことだそうです。 それに対処するには、地震警報直後すぐさま乗船し、沖に出すということでした。 津波が高さを増す前までに船を沖に出すことで、被害を抑える目的だということを、後に聞かされました。 大津・平潟港では津波前に湾内の海水が、地面が見えるほど引いたのだそうです。(結果6.3Mの高さの津波)そういう現象は過去覚えがないと関係者が言っていることから、大変な事態になると咄嗟に想像できたそうです。 よって北茨城の船の被害は、家屋倒壊の被害ほど甚大ではなく、放射能の問題さえ収束すれば復興する足がかりはあると、漁業関係者はお考えのようです。

ただし、風評被害により、「北茨城で漁獲された魚は危険である。」とイメージされてしまい折角卸そうにも、1.お客様が買わない>2.販売店が仕入れない>3.小売業者が買い控え>4.市場で仕入れないという悪循環が起こったようです。 ただこれは、先日の天皇陛下御訪問の折、陛下御自身が地元で漁獲された平目を食してくださったことからメディアで取り上げられ、幾分和らいだと聞いております。

葉物野菜も同様に、ホウレンソウでヨウ素が検出されると、茨城県全体のキャベツ・ネギ・レタスをはじめとする、あらゆる野菜の価格が、市場では1/10-半値以下という取引価格に落ち込んだそうです。それはまったく関係のない野菜まで現状もそうだと、近所のネギ栽培個人業者から聞いています。折角半年を掛けて栽培し、いざ出荷する段階になっての急激な価格暴落は彼らの生活に大きく関わることです。

北茨城市(人口約4万7千人)といわき市(人口約35万人)は災害時協定というのを締結しているそうです。北茨城市での水道の断水がほぼ収束を迎えると、お隣のいわき市へ給水車と人員が派遣されました。わたしも実際に給水車に乗り込んで、原発の避難地域に指定されていたギリギリの区域で給水作業を体験した者です。 そんなある日、茨城県南部の坂東市という自治体では、いわき市へ向けてトラックで大量の野菜を無料配布するべく物資の輸送をされていました。給水を求めてやって来た、いわき市民の皆さんは久しぶりに野菜を口にできると大変喜んでいました。本来これは、首都圏に出荷されるものだったようですが、値段が付かず腐るか捨てるしかなかったのだそうです。それを農家の皆さんが提供して下さり、坂東市では大型トラックをレンタルして運び込んだようでした。

これはわたしが体験できたほんの一例に過ぎませんが、自治体同士の災害時協力ということでいえば、いわき市の給水車両の規模は北茨城市の約10倍で、水道が復旧するまで市内一円を70-80台が走り回っていました。
・東京都 ・横浜市 ・宍戸鶴ヶ島 ・会津若松市 ・北九州市 ・大分市
・延岡市 ・都城市 ・神奈川県企業庁企業局 ・日向市 ・別府市 ・杵築市
・坂東市 ・北茨城市 ・守谷市 ・双葉地方水道企業団 ・鹿屋市 ・垂水市
・沖縄県支部7団体 その他、自衛隊の給水車両が多数。
もちろんこれは車両だけではなく、人員も派遣されていたようです。

また、義援金の受付については、日本赤十字協会が最も大きな窓口のひとつとして機能しているようです。 でもそれは、政府が分配や用途に関係しているようで、最近になりようやく使い始めたようです。 ところが被災している方々は今日の生活に困窮し、今現在分配して欲しいのではないでしょうか。 先日石井さんが、個人的な義援金を北茨城市にお持ちくださったと伺いましたが、そのように、自治体に対し直接義援金を持ち込んで下さる方法は、政府の緩慢な動作に関係せずすぐさま使える活きたお金となって機能するのだそうです。 それは恐らく、被災した方々への配布金の一部であったり、家屋が無くなった方々へ住宅を提供するための費用か、瓦礫を撤去するための費用であったり、破壊された幹線道路の補修費用、もしくは護岸整備事業費用か、災害時対策基金、水道管復旧費用、災害対策備蓄補充費なのかもしれません。(後に調べたところ、護岸整備事業・国号補修等は国の事業だそうです。)

政府や自治体は制度やルールに縛られることが多く、それを捻じ曲げることは容易ではないと聞きます。ただ、現在はそれに縛られることがないよう一刻も早い対応が求められている時期なのかもしれません。 確かに制度を破ることは破綻をもたらすのかもしれませんが、現実に今も困っている多くの被災者が居る現状を国のトップに立つ方々は「心で」解って下さることを切に望むばかりです。

北茨城市民は、地元出身の石井さんの動向をずいぶん注目しているようです。 被害の甚大な東北三県の影に隠れて、茨城は政府や国民から一歩引いて見られているのではないか、という懸念がわたしたちは意識せずにはいられません。なぜならメディア等の取り扱いが大きく違っているからだと思います。「故郷だから」という気持ちからだけでなく、被害は東北三県だけではないという実態を世間の皆さんに大きくアピールして頂ければ北茨城市民・茨城県民ともに取り残された感じが薄まるように思います。 何卒今後とも、故郷の人々が復興へ向けて頑張ることが出来るよう、応援して下さるよう切にお願い申し上げます。