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GROUND ANGEL 2002-2011の
活動内容はコチラ
SPECIAL2 〜特別企画2〜
Chapter3. 支援物資より何より、まず心が欲しい
市長 北茨城は現在避難所に42名いるんです。
石井 そうなんですか。

市長
その人たちはいろんな理由があっているんです。社会というのはいろんなことがありますから。42名がほとんど被災者であることは事実ですが、被災者の中にもいろいろありますよね。だから閉めるというわけにもいきません。帰れない人もいますし、いろんな理由で帰ろうとしない人もいます。
石井
いくらなんでもね、一人ひとり根掘り葉掘り事情を聞くわけにもいきませんよね。
市長
北茨城は最終段階に入りました。住居を180軒提供したんです。政府がまだアパートの借り上げを認めていいと決める前に、借り上げを決めたんです。待っていたら遅いんですよ。何万戸というと、作るとものすごい金額ですから。1軒300万とか。借り上げた方が安いんです、1年なら1年。そうしたら安心していくんですよ。北茨城市は身をもってやっていますから、住宅が無くて困ったという人は一人もいません。
石井
すばらしい。
市長
昨日一昨日は、5人の亡くなった方と1人の行方不明の方のご家族に災害見舞金を500万配ってきたんです。まず今必要なんですよ。北茨城はお金はないけれども、でも工面しようということで配ったんです。昨日と今日は164軒の住宅全壊の方に配っています。連休の前に欲しいわけですよね。現金を。
石井
何故赤十字は…
市長
遅いんでしょうね。1500億くらいあるんですよ。
石井
ここまできちゃってて、半壊だから全壊だからそんなことを言っているのがおかしいですよ。一人いくらずつ分けましょうと。それで余ったものはそこから考えましょうというのが普通じゃないでしょうかね。
市長
北茨城市は、銀行と話をして、1人5万円を保証人も何もなし、市が保証して緊急貸付けというのを行っているんです。現在124件を貸しているんですよね。これを決めたのが震災の3、4日後くらいですね。皆印鑑も何も流されてないので、今日使うお金がないわけですよ。なので市が保証人になるからと。でもそれを担ってくれたのは、つくば銀行1行だけでした。常陽銀行にしろどこもやってくれないんです。せいぜい1千万くらいでしょうから、そのくらいだめなら市で払ってあげると言ってるんですよ。結果的には124件しかありませんでしたけど、これも支援の第一歩ですよね。
石井
僕も自分にできる支援はなんなんだろうと思っても…歌くらいしかできないので。
市長
生意気なことを言いますと、支援は心が一番ですから。後は何もないです。そういう意味で強く発信して頂ければと。
石井
僕は、被災地にすぐに行くのはよくないと思っているんですよ。死体も出ている、傷も癒えていない、これから復興するという手前じゃないですか。思い出の品もみんなまだ拾いたいでしょう? そこに他人が入ってきて片付けられても、家の秘密もあるじゃないですか。そういうものを片付けるのは1週間も2週間もかかりますよ。 もちろん自衛隊などのプロはいいですが、あまり他人が土足で行って歌ったりなんだりするのは、俺はもうちょっと後でいいかなと思ってるんです。熟考してからしたほうがと。今はそっとしておいたほうがいいかなと思ってるんです。
市長
南三陸とか宮古とかはね、自衛隊が遺体を二人抱いて歩いてくるんですって。それは涙したと言ってましたね。腐乱している訳ですよ。顔もわからないでしょ。1か月前くらいにそういうことが毎日繰り返されたんですよ。
石井
泥の中にはまだまだ…
市長
最初ね、三陸で人が安置されたまま火葬が間に合っていないと聞いて、こちらでも引き受けようかと思ったんです、1体でも2体でも。しかしうちも地震から電気が消えたでしょ、電気が消えると焼けないんです。
石井
しかもガソリンが無い。
市長
そうなんです。それはそれは大変だったですよ。
石井
テレビで東北の人に今何が欲しいですかという質問を投げかけた映像が放映されていたんですが、そこに「ドライアイス」って書かれていたんです。あれをみたときは涙が止まらなかったですよ。東北人らしいなと思って。普通だったら米とかガスとか言うじゃないですか。こういう人達なんだよなあと思いましたよ。
市長
北茨城にもいろんな大臣が来てね。市長さん今何が欲しいですかと聞かれるんですよね。だから僕は「あなた方の心が欲しい、それだけでいいです。物はいりません。物はあとから付いてきますから。それより心が欲しいんです」と言ったんです。個々に何をやってあげなきゃいけないという心を聞きたいですと言ったら、皆さん涙してました。国交省の偉い方々が大臣を先頭にして、道路局長も、河川局長も、涙で言葉が出ていなかったですよね。「いろんなところに行って市長が要求を出さないのは初めてです」と。要求を出す前に皆さんの心を頂きたいと。そうすれば黙っていても復興できるじゃないかと。僕の言葉はそういう意味だったんです。それは立派な人達ですから皆さん感じとって帰ってくれましたけど。石井さんもおっしゃっているように“心”なんです。
石井
こういう時くらいは、国の長は人間にならないと駄目ですよね。総理大臣になっては駄目なんです。人間になって、何もしゃべれなくて泣いたって構わないと思う。皆さん頑張ってくださいといって泣き崩れてもいいと思う。そのくらい気持ちを入れて欲しかったですね。その姿を見たいですよ、国民として。
市長
できるならいいけど、できないなら辞めた方がいいとね、私、テレビで管さんに言っちゃったんですよ。生放送だったんですよね。できるならやるべき、できないならしがみつかずに辞めてもらってと。
石井
せめて自分達の方針が立てられるだけの情報は発信してほしいですよね。
市長
私達も一所懸命復興に努力しますので、石井さんもこれから全国に発信していってください。
石井
日本もそうですし、外国にもこのことをアピールしていきたいなと思っています。あまりにも過敏な報道によって世界各地から差別されている日本の現状も訴えたいなと思って。今世界に日本がどう見られていて、どう払拭していくかも問題だと思うんです。ここに住んでいる人間しか言えないと思うので、またいろんな状況を聞かせて頂けると嬉しいと思います。僕は3年計画で考えているんです。それまでは支援を続けないと。
市長
復興の兆しのために是非大津でもよろしくお願いします。
石井
僕にできることは何でも協力させて頂きます。


※北茨城市の復興に少しでも協力できればと
石井竜也個人より義援金をお渡しさせて頂きました。