親として考えていること
nico
11.05.16 01:13
SPECIAL2~特別企画2~のアップありがとうございます。
「不便」とは、物がある程度あって、自分でどうにかすればそれなりに生きていける状態の時に使う言葉なのかも知れない。
何もなくなってしまったら、みんなで「助け合い」で生きていくしかない。不便は、便利の対義語というよりも、自分個人が使う言葉なのかも知れないなと、ふいに感じています。
最近、ずっとここに何を書き込んだらいいのかわからなくなってしまってました。そして、市長さんとの心のやり取りを拝読し、人間について考え、ここで知った黒沢監督の「生きものの記録」を見て、「おくりびと」を見て、原子炉について考えて調べて考えて。。。親としての生き方、子どもが大人になった時の日本を考えてました。
親としては、「今」生きてる実感だけを求めることは出来ないです。どうしても子供のこれからの「未来」までを考えずにはいられません。私個人だけなら、幸せを感じられるコンサートの事を考えていればルンルンです。今までなら、そんなちょっとした個人の幸せの積み重ねで、親としてもハッピーな気持ちで子どもと接せられるから良かった。でも、今は、放射性物質の行方を毎日考えざるを得ません。「食」に関わるからです。
私は、小さい頃からなぜか「長生きすること」が目標で、修学旅行で行った清水寺でも「長寿の水」と言われるところを迷うことなく選らんでいました。でも、ホームヘルパー2級講座を受けて、考えが改まったんです。「ただ長生きするんじゃなくて、健康で長生きしたい。」。。。病気で薬が手放せないんじゃ、いつでも心から人生楽しめない。それが小さい時からなんて、辛すぎます。。。昨年から何かと経過観察中と診断されることが続いてしまっている私は、ちょっと目標は危ういとこあるんですが、子どもたちにはずっとずっと健康の上で、人生設計してもらいたいと切に願っております。
だから、放射性物質の行方が親としてはとても気がかりです。
見えないから、「風評被害」という言葉で全てをグレーにしてしまってる気もするんです。放射性物質が見えるようになる粉とかないでしょうか?それ自体は無害だけど、化学反応で赤くなるとか。それを「せーの!」で空から撒いてみる。目に見えたら、どんな人だって無関心じゃいられなくなるはず。そうしたら、「命」を真にみんなが見つめなおしてくれないかな。それで、これからの生きる糧である食材についても、クリーンにそれこそ情報公開でやる気になるはず。そうするしかない状態になるはず。今はこんな政府でも、人間組織になってくれるんじゃないかな。
ちょっと、親として子の未来を想うと、今の現状はたまらないです。被災地へ心を馳せつつも、自分の周りも考える必要があるなんて。。。心の全てで被災地のことだけ考えたい!でも出来ない。このジレンマがなんで自分の中にあるのか、私の周りは平穏な空気そのものなのに。。。親だけど、同じ国に生きる者でもあるのに。今この時も固いマットの上で寝るしかない方々を想うと、募金しかできない自分は一体なんなんだろうと、また考えます。
何十年も原発や原子炉と対峙し続けてる方々は、どんなに暖簾に腕押しでも格闘し続けて、こうやって今大人になった私が子供のころも、今の状態を憂いて活動し続けてくれてたのだと、初めてちゃんと認識した今、その精神の強さと決意には、適切な言葉がみつかりません。だから私は、これからもちゃんと考え続けます。
