経済
senka
11.05.28 00:54
個人的なことですが、
10時間以上は職場に居るので、疲れて眠りたい時があります。
今までずっと、床に、カーテンを身体に巻きつけて仮眠をしていました。
自分の部屋は、数年前から電気が壊れて、器具なのか、電源なのかわからないのですが、蛍光灯がつきませんから、真っ暗です。寝るだけの部屋ですから、電気がなくても過ごせるのです。隣の居間は照明が付くので、それで十分なんです。一人の食事は、素材だけを簡単な調理で、手をかけずに済ませていました。外食するわけでも、弁当や惣菜を買うわけでもなく。そんな、ある意味、最低な生活でも、都会の中で、生きることは可能でした。周りの人たちの活気や生活力の歯車のようなものの中で、自分には何も無くても、回り続けている活力の流れの中で、東京は生きることが出来ていました。
震災が起こって、某国営放送のネット配信を一日中付けていたら、その活力に漲っていた周りの人達が、「震災のニュースは気が滅入る。やる気がなくなるし、楽しい雰囲気を作れなくなる。」と嫌悪感に満ちた表情で言うのです。
震災後の余震と、原発の刻々の変化をリアルに知ることより、日常のやる気の雰囲気作りの方が大事だと思っている。周りに居る人々の活気と活力の生み出される”もと”になっているものが、何だったのか、改めて知ることが出来て、落胆したり、驚いたりしましたね。
経済は、誰かのために、何かをしたい。それがもともとの始まりです。その思想は、愛情とよく似た思いであるし、愛情を持って働かせないと、続けられないものです。その回転力が、いつしか、一人一人の心を働かせなくても回るほどの勢いをもった求心力になっていて、国家や人々を巻き込んで、余力で回り続けていただけだったのではないかと。実体の無い仮想の愛情に、心血を注いで、回り続ける歯車を回し続けて来ていたのではないかと、大震災の後に、魅せつけられている壮大なドラマでもあります。
"私が"今日を気持ちよく過ごすために経済を回すのか、誰かのために自分を働かせようとするのか。難しいことのような、簡単で単純なことなのか。人それぞれなのですが、循環する社会、還元できる人のエネルギー。そういう意味の社会に、転換されてゆくと望ましいと思うのです。センセーショナルに変わるのではなくていいので、社会全体が抱いている"思いやり"から、回転力が、自然に変化してゆくことが望まれます。あまりに多くの命が、無情の中で犠牲になりました。あってはならない事の中で。そして今も、誰かの安全のために、危険に身をさらして生活をしている人々がいて、経済が回っているという事実を知ってしまいましたから。穏やかに、意識を変えていければ、何より幸いなのですが。
