思いだしました。
senka
12.07.28 16:03
高校に入ると、違う地域の人たちと出会います。
いろいろな人が珍しかった。
確か2年のころ、ヤンチャな人たちのグループにいて
目立つ下級生を呼び出してカツを入れてやろうという話になった。
目立つ格好をしていて生意気だからという理由だったと思う。
目立つとは個性的でもあるのだけれど、
それとは違って、つまらなそうなに時間をもてあまして
怖い感じだったからではないかと
彼女らの怯えた目線を思い出します。
私は深く考えずに行動を共にしました。
もちろん初めての事。
トイレに集まって何が始まるのか見ていたら、
いつもとは違う友人の態度が実に慣れているものでした。
肩に優しく手をかけ、耳元で「あんたねぇ、生意気やってんじゃないんだよ。」みたいなセリフが自然に出て、小声だったものが時に大きく、正面に回ったり後ろから囁いたり、足で蹴ってみたり。
つまり脅かしている。抵抗できない状況で、相手の存在を脅かして自分を強い者であることを印象付けている。私は笑ってました。その人間の関係が可笑しくて笑うしかなかった。
暴力を振るった訳ではないけれど
あんなに近くに寄られて脅かされたら心は萎縮してしまいますね。
それからその子たちの様子も変わり、脅かした彼女は、人柄の善さそうな微笑みを浮かべて一目置かる存在でした。
私は学校に行かなくなったかな。
30年振りの同窓会で、彼女は営業職のキャリアウーマン。
つまり、人間関係をつくる一つの手段だったんですね。
目立つ。目をつける。脅かす。親切にする。言葉を巧みに使う。
そんな関係を作って、日本全体は経済を回してきたのではないのかな。
悪気の無い、よく在るような出来事のようだけれど、
表に出ない小さな悪習慣の連続で、この社会が回ってきた。
命の大切さ。
自分が、生き残って、まだ生きていることをもう一度確かめて、
自分が本当に向き合うべき人と手を取り合い
新しい未来を創造して実践することこそが生きて行くこと。
罪を感じる心とか、恐怖心は、できれば置いて、捨てて。
私達一人ひとりが可能性のかたまりであることを
本当に活かしてほしい。
活かし合う人との関係を求めて欲しい。
人にも願ってほしい。
立つこと、歩み続けることができることを
いつも可能性があることを
人にも、自分にも、心から望むことが、生きるということでありたい。
それは遠くにあって探してめぐり合える心ではないですよ。
全部、自分が子ども頃に心で思い描いて
大事に鍵をかけてしまってある宝です。
だから心配しないで。
命の大切さは生きている自分の中にあるものだから。
