いいなぁ。。。
月姫
12.09.28 11:31
医者と戦えるNightingaleを...というお話を読ませていただいて
子どもの頃にお世話になって以来、今も「特別な気持ち」
で思い返す、お医者様と、婦長さんのことが思い出されました。
小児科のお医者様で、肺炎をこじらせて受信した私を診て
「なんで早く来なかったの!?」と激しく叱責した厳しい顔の先生も
当時評判の、大手の個人病院、
殺人的に忙しさの中でピリピリとした責任感を
漂わせている婦長さんも
子ども心には怖いだけ...の存在だったんですが
不思議なもので、入院をして、大人の病棟の中に
混じっている私を気遣ってくれる先生や婦長さんと
接しているうちに、
子どもにも、自然と人柄が伝わってくるものなんですね。
もう殆ど治りかけた頃「家に帰ってもいいでしょうか?」
と聞いた母に、責任感の強かった先生は
「またすぐに悪くなっていいのなら勝手にしなさい」
って、もの凄い剣幕で怒られながら...の退院でしたけど
その後。経過の診断の為に通院した私に
2人して、とても優しい顔で「治って良かったねぇ...
辛い入院、頑張ったもんね..」って言ってくださった時に
「絶対的な信頼」とでもいうような気持ちが生まれて。
その後結婚して生まれた子どもの具合が悪くなって
近くにある、大きな病院を受診しても、入院しても
原因もハッキリと判らず、一向に良くならなくて悩んでいたとき
フト、その先生の事を思い出して、「もう働いていらっしゃらないかな?」と思いつつも、
縋る様に片道一時間半かけて連れて行ったところ
先生は、お年を召して、すっかり「温厚なお爺ちゃん」
になられていたんですが
その隣で「大きくなったわね、良く来てくれたわね」
と言って下さる、婦長さんの凛とした笑顔が変らずにありました。
おかげさまで、あれだけ原因が判らなくて、小さな息子を
長い間苦しませていたのが嘘の様に回復して
「やっぱり○○先生に診て頂けば間違いなかった」
と、親になって改めて
信頼できるお医者様の存在に、感謝した思い出があります。
お年を召して、いろいろな所で、覚束なくなっていらっしゃる先生の傍で、
変らぬ姿勢で「先生」とお呼びして、テキパキと助けていらっしゃる婦長さんと、先生の姿...。
かなさんのお話から、思い出してしまいました。
看護婦さんを前にして、僭越ですが、人間のの耳というのは
目で見る以上に、人の状態を感じ取る事が出来るんじゃないかと
年をとった、実家の母と電話をする度に感じるこの頃です。
電話で聞く母の声。
今日は随分枯れているな、とか。
今日は随分、話しながら息が切れているなぁ...とか。
声があまり出ていないな、とか。
ロレツが回っていないな...とか。
そういう変化に気がつきやすいのは、顔を合わせて
逢っている時よりも、電話で感じることが多い気がして...。
私自身も、大人になって、喘息が再発した直前には
「なんか簡単に息切れがする」
「前より、重いもの持てなくなった」
という変化を感じていた事に、後から気付いたり...。
そういった意味でも、自分と会話する、自分の身体と会話する、
そして出来たら、相対している人の、無意識に発している状態にも、耳を澄ませて会話をする...。
人間は、言葉になることが総てではないから。
自分の心(身体)は、相手の心(身体)は
なにを伝えようとしているのか...を感じることの出来る、
誰の中にも必ず在る「心の言葉を感じる耳」の感覚が
これから、ますます必要になってくるのかも...と思います。
かなさん...、応援してますo(^_^)o
