たいへんなんだ
senka
12.10.01 09:38
人って 生きることって、大変なんですよね。
身体の恒常性を保つこと自体が実に緻密なこと。意識や無意識の中で、自分自信の手を貸し足を使いながら器用におこない続けているという大変さの中で当たり前のように存在しています。存在しているということだけでも偉業です。大変な事なんです。
子どもは身体の成長と同じで、人生の中で唯一許されている自然に成長できる伸びる時期ですね。植物が自然界で成長していくのと同じように。障害物があれば、それを避けて幹や枝を変形させながらでも伸びられるだけ伸びる人生の時期。目に見えるだけでも、体重の増加、身長の発達。人の成長の中で著しい変化をする時期。もちろん個体差があって伸びの形は様々な様子を見せますね。人として個性的に成って行きます。
親からいただいた命だからとか、家族に支えられているからと言うのは後付けの気を配った理由になるのかもしれません。
一般的には、誰が身長を伸ばしてやったとか言わないですよね。自分の可能性として骨や皮膚が変化をしていきます。そうして成人して行く。ダイナミックな変化を内的に外的に様々な要因を加味しながら影響を受けたり与えたりしながら年齢を重ねて存在しています。
生命の大改革の末に年齢は重ねられて、多くの他者とともに経済活動、労働の時期を迎えます。子どものように、ただ伸びる存在ではないので、ある恒常性を保つ中で、出来ないことを出来るように、知恵と工夫を重ねて、他者と協力をして意図的に成長をして生き抜きます。
大人である時間の方が人生は長いのです。子どもは自らが変化の塊です。黙っていても著しく変化をします。
だから、大人が20年30年40年と、どのように変化変容をして生きて行くつもりなのか。意識や意志を持って成長し続けなければなりません。自分を取り巻く外界も時々刻々変化を進めて行きます。
そんな中で、いじめ、なんて。どんな意味があるのかな。いじめで子どもが成長するのかな。いじめで大人が成長するのかな。「あの時いじめられたから今の強い自分がある」とか。多少のいじめは当たり前って、こんなに苦労して大人を維持して、個性の塊を維持して、自分が生きて来られたことを尊いと思えるか。同時に他者が生き抜いてきたことも尊いと思えるか。
人の弱みが人の魅力でもあります。人は弱点が魅力でもある。その魅力をお互いが見つめていられるか。補い合おうと人が結び付けるか。それこそが礼節だと思う。弱みがあるのが人の素直さだと思いやれること。そんな心に寄り添いたい。
自分の頭を使って考えるということに刺激があって心の痛みを伴います。考えることに刺激と痛みが含まれているのだから、とても人をいじめられない。
考えることに耐えている人間だと気がつくこと。考える時間と場所が大人の世界には必要です。一人の時間として。
