祖母を想う
mayuminx
13.02.11 12:00
私にも認知症になった祖母がいました。
小学生の頃に祖母に預けられて中学まで過ごしていたので、母親より、子供の頃の思い出は多いです。
自転車でスーパーに買い物に行ったり、休みの日は電車に乗り、数駅先の大きな商店街にいったり・・。
夜、具合が悪いと夜道を歩いて病院まで連れて行ってもらったり。
私が大人になると、たまに街に出かけたりもしました。
その時はファミレスのようなところで食事したり、私の買い物に付き合うだけの、些細な事でしたが、とても楽しみにしていたらしく
精一杯のオシャレをしていました。
戦時中に青春時代を過ごし、まったく裕福ではなかかったと思います。遠い所まで家にある着物やらを持って、食糧等と引き換えるために歩いて行ったという話や、闇市の話も聞きました。
そんな時代を生きていた人です。
とても、物を大切にする人でしたから、そのオシャレが相当昔の物であったり、手縫いであったり、セーターをほどいて作り直したものばかりだった事を知っていました。
でも、私がよく行っていたショップの店長さんは行くたびに祖母に「おばあ様、いつもとてもオシャレですね~。ステキです。」と言っていました。
それはもちろん御世辞なんでしょうが、祖母はその言葉を素直に受け止めて、ニコニコしながら「こんなん、自分で作ったんや~」と言ってとても嬉しそうにしていました。
私は子供の頃、祖母が作ってくれた服を着るのがイヤだったんですが、そう言えば、生地を買ってきては嬉しそうに縫っていた事を覚えています。
母親と離れて暮らす孫に、せめても何かしてやろうという思いだったんでしょうね・・。
そんな祖母がある日脳梗塞で倒れました。
幸い一命は取り留めましたが、その時の後遺症からか認知症を発症してしまいました。
しばらくして母が引き取る事になり同居し始めた頃は相当に進んだものでした。
今の部屋に引っ越した時には重度の認知症で、母も私も働いているため、昼間は祖母1人。
母は帰ってくるなりいつも祖母を怒鳴りつけていました。
冷蔵庫の物を全部、食べてしまう。
介護用の下着をトイレに流し夜中に業者を呼ぶことになる。
ポケットから使用済みのマッチがいっぱい出てくる。
私が帰ると「アンタ誰?どこから来た?」と言い。
それで、福祉の方と相談し、ヘルパーさんに来てもらったり、数日間のお泊りのデイケアサービスを受けるようになりました。
でも、やはり介護システムには限界があって、毎日来てもらうわけにも行かず、症状は悪化の一方です。
その上、それでも結構な費用がかかり、そのうち母が病に倒れてしまいました。
こうなると、とうてい祖母の面倒は見る事はできません。
母自体の医療費で祖母の自己負担分を負担することなんてできないからです。
最終的にケアマネージャーの方と相談し、祖母を特別特別養護老人ホームに入れるよう福祉の方に相談し、手配していただくことが出来ました。
徘徊が著しくなった祖母はホームでも夜中に歩き回り、一度転んで
骨折したり・・・。
ただ、そのホームの隣には病院があったので、何かあるとその病院に入れていただけました。
最後に見た祖母は、徘徊の為、ベッドの上で拘束され、とても痛々しく、拘束を解くように叫んでいた姿でした。
元気だったころの祖母を思うと、あまりにも悲惨な光景に何も言えずにその場を離れる事しかできませんでした。
その後、母の病が悪化し亡くなったのですが、それから半年後、その祖母も亡くなりました。
私は一人でその祖母と対面する勇気がなく、逃げてしまいました。
自分自身、心がすさみボロボロだった頃でした。
今となっては、なぜ もっと会いに行ってあげれなかったのかと悔やんでいます。私こそ人としての心がなかったと・・・。
これから高齢化社会は進んでいきます。
それにともない重度の認知症も増えていきます。
経済的に豊かな者とそうでない者。
大きな差が出てくるのは避けられない事でしょう。
お金があればより良いサービスが受けられます。
患者さんにとっても、ご家族にとってもいろんな方面で、負担は軽くなります。
今の、国の制度ではそう言う事になります。
介護疲れにより起こる事件の数々。
どうか未然に防ぐことが出来るように、制度を現実に合った方法で定めて欲しいと思います。
愛情が憎しみに変わる事のない未来であって欲しいです。
