介護される側の気持ち
bahya
13.02.12 00:27
うちにも介護を必要としている94歳の祖母がいます。
去年の年明け早々、心不全、肺気胸と立て続けに体調を崩し、入退院を繰り返していました。
でもおかげさまで脅威の回復力で持ち直して退院しましたが、大病を患った事で体力が落ち、今までのように1人家にほっておけなくなりました。
そのため、週2回のディサービスも利用しながら、家族で協力して祖母を介護する生活が始まったのです。
実の娘である母は、週の半分は神戸と京都を行ったり来たり。
往復だけでも疲れるのに、ましてや介護となれば、しんどくない訳がありません。
今まで、私の祖父母、さらにはガンで亡くなった父親の世話まで、結婚してから介護中心の生活だった母。
でも母は笑いながらこう言いました。
「子供が親の面倒を見るのは当たり前やろ?“みんなに迷惑かけるし、もうこんな体で生きててもしゃあない。はよ死にたい。”なんておばあちゃんに思わせたくないから。いつか亡くなる時には、ああ幸せやったなあ、と思ってもらえるように精一杯、悔いが残らんようにしたい。」
またこうも言いました。
「私がいつも行ったらな、おばあちゃんが、“みんなにようしてもろて私は幸せ者や。おおきに。みんなに迷惑ばっかりかけてなあ。ほんまにすまんなぁ。” 言うて泣くねん。おばあちゃんが幸せやと思てくれてくれるのが一番嬉しい。だからいっこもしんどいことあらへん。そんなん苦労なんて思た事ない。」と。
介護という言葉は、あくまでもする側を軸にした言葉で、される側の事は何ひとつ入っていません。
介護される側の気持ちを考えた事ありますか?
一番辛いのは、実は介護される側なんですよね。
それに気づくだけでも、少しは気持ちの持ち方が変わるんじゃないでしょうか。
うちは痴呆がないだけまだ幸せだと思いますが、終わりの見えない介護と向き合っていく過酷さに変わりはありません。
介護には、家族の協力と適度な息抜きが絶対必要です。
ひとりで抱え込んでしまったら、先の見えない不安に押しつぶされそうになり、先のお話にもあったように、人としてあるべき姿が失われてしまうのです。
利用できるものは利用し、みんなで協力する事で、逆に家族の絆が深まったりすることもあるんですよね。
介護=苦
でなく、
介護=幸
こういう方程式もあるんだということを、うちの一例でお話させていただきました。
実際問題、痴呆がある方を介護されてるご家庭は、言うに言えない苦労がおありだと思います。
私にも、若年性痴呆症のお母様の面倒を見ている友達がいますが、一人っ子でなおかつ独身の彼女は、介護に追われ、結局仕事を辞めざるを得なくなりました。
そんなことが起こらないよう、北欧のように福祉面でのサポートが万全な世の中になるよう、切に願うばかりです。
