23.04.22 11:53
新古典時代の絵画
ー1780年頃から1820年頃まで
なぜ、ここで、世紀別による伝統的な時代を区分を顧慮(こりょ)せずに、このような区切り方をしているのか。この問題は、いずれにしろ、いまも美術史家の果たすべき責任として残されている。図式的にいえば、ルイ16世始世紀末期から大改革の時代を経てナポレオン帝国にいたるこの時期は、いままで、まったくといっていいほど新しい考察の対象とはならなかった。ネオ-クラシックといわれるこの時代は、ながいあいだ、手のほどこしようがないほどよそよそしく、真実の創造を生みだすなにものもみられない時代だと考えられた。だが、近年の展覧会や研究書は、この時代が、対立抗争に満ちた沸騰する時代であり、創造的人間の輩出した時代であったことをあきらかにしている。画家たちがこの状況下に〈冷たい〉絵を描いたのは、かれらがそのように描こうと決心したからである。動乱のヨーロッパで、フランスの画家たちが、かけてもダヴィッドが、決定権を有する立場にあり、そして、絵画の上で、フランスのこの時代をあらわすすべて、その起源から発展までを示すことのできるのは、ルーヴルを措いて(おいて)ほかにない。ルイ16世始政下で、歴史画に関する取扱いは、王室建築物監督官であるダンジヴィエ伯爵の手にゆだねられている。王に進言し、宮廷の古代を主題とするさまざまな大絵画を運び入れたが、そのほとんどは、タピスリの下絵用としてであった。シュベ、ペロン、ヴァンサン、メナージョの絵画が今日ルーヴルに残されている。ダヴィッドの2点の絵画は、この時代の絵画として、その技法の新しさと感情の力強さによって、まさに驚天動地(きょうてんどうち)のものとなる。この2点、《ホラティウス兄弟の誓い》〈1784年〉《ブルートウス》〈1789年〉はともに王室監督官の指示により購入された。また、ルニョーの主要作品である悲哀に満ちた、しかも優美な《十字架降下》〈1789年〉も、フォンテーヌブロー城の教会堂用として購入されている。革命期、共和国政府は、先制王朝時に註文(ちゅうもん)した絵画を何点か購入している。また、ダヴィッドが1771年にローマ賞二等賞を受けた《マルスとミネルヴァの戦い》やルニョーの《アシルの教育》〈1782年〉を含むアカデミー・コレクションを持ち運んでいる。ダンジヴィエ・コレクションからは、ペロンの《ミルティアードの埋葬》、ヴィジェールブラン夫人からは《古代の衣裳をつけた芸術家と娘の肖像》、ベルナール・コレクションからは《ヤコブとラパンの娘たち》、ノアイユ公爵夫人コレクションからはダヴィッドの自筆複製画《ベリゼール》を徴収している。ナポレオン帝政期には、ナポレオンの栄光をたたえる叙事詩的(じょじしてき)歴史画制作が、同代の画家たちに命じられた。ダヴィッドの《ナポレオン1世の戴冠(たいかん)、1804年12月2日》、グロの《ヤッファのペスト病兵を慰問するボナパルト》、《アイラウの戦い》などである。グロのこの2点は、ロマン主義的感性の最初の兆しを示すものである。1818年、王制復古期に、リュクサンブール美術館が創設される。同代の画家のためのものであり、購入もその意図を明確にし、ここにいたって、新古典時代の大絵画の分野でもっとも重要な作品とされるほとんどの絵画が入手された。ジロデの《大洪水》、《墓前のアタラ》、《エンデュミオンの眠り》は1818年の購入であり、ゲランの大絵画は、1802年のサロンに展示の際買上げた《フェードルとイポリート》を除いては、1817年から1830年の間に購入している。ジェラールの《プシュケとアモール》は1822年に購入され、パリ裁判所のために描かれたプリュードンの《罪を追求する正義と神聖な復讐》は、1826年にパリ市より譲られた。ブリュッセルに亡命した革命派ダヴィッドの《サビネの女たち》と《テルモピュライのレオニダス王》は、1819年間接的に入手している。アルトワ伯爵は、大革命前にダヴィッドに制作を依頼した《パリスとヘレネ》を1823年に寄贈する。未完成の主要作《レカミエ夫人像》は、ダヴィッドの死の1年後、1826年、アトリエ売立ての際に入手したものである。ルーヴルの肖像画が特に増えたのは、この世紀後半に入ってからのことである。多くは画家の子孫による寄贈か遺贈であり、中にはモデルとその家族からのものもある。ヴィジェールブランの主要作2点、《芸術家の肖像》と熱気と緊張に満ちた《画家ユベール・ロベール》像は、1843年、画家の姪トリピエ・ル・フラン夫人により寄贈され、ダヴィッドの《ペクー》夫妻像はその翌年の購入であり、1852年には、画家ウージェーヌ・イザベイが、ジェラールによる父と共の肖像画《細密画家ジャン-バチスト・イザベイと娘》と、ダヴィッドの《芸術家の肖像》とを遺贈する。1855年、モンジェ夫人は二重肖像を遺贈している。ダヴィッドは、この肖像画を、夫人像を加えた胸像画に仕上げている。ダヴィッドの《トルデーヌ夫人》像は1890年、オラース・ポール・ドランシュによる寄贈、グロが描いたリュシアン・ボナパルトの最初の夫人である《クリスティーヌ・ボワイエ》像は、1894年に購入された。今世紀になって、ルーヴルのすばらしいコレクションに加えられたものはわずかである。ダヴィッドのメダル像《セリジア氏》、《セリジア夫人》が1902年に購入された。特に記しておきたいのは、1915年、シュリクタン遺贈コレクションの中のプリュードン作《若きゼフィール》、1912年、ベルネーム-ジュンヌ氏寄贈のダヴィッドの唯一の風景画《リュクサンブール庭園眺望》エスキース、そして、1930年に寄贈されたレスピーヌ伯爵の美しいコレクションである。これは、娘のクロワ公爵夫人からもたらされたものであるが、この中には、ミシャロンの写生による風景画シリーズ(27点)と、ヴァランシエンヌの127点の風景画シリーズが含まれている。ごく最近、ルーヴルには魅力ある肖像画がふたたびあつまりはじめている。ダヴィッドの《ヴァエルニナック夫人》、《メイエル氏》《ボナパルト将軍》、ジェラールの《レセルフ夫人》(1942年ベステーギ氏遺贈)、グロの《パストゥール夫人》(1948年パストゥール氏寄贈)などである。新古典時代の絵画の多様性をあまねく示そうとの配慮から、何点かの作品が購入された。1972年にゲランの《アミンタス王の墓の羊飼いたち》、1974年にリヨネ・ベルションの精妙な《花のある静物(せいぶつ)》、1976年にルニョーの《ソクラテスとアルキビアデス》。こうした配慮は持続されねばならない。ルーヴルの威容をかたちづくる栄光ある巨匠のほかに、魅力ある画家は数多く存在するのだが、あるものは脚光を浴びることなく、展示も不十分であり、まったく展示されない画家もいる。ルーヴルにあるコレクション総体は、比類ないものである。それゆえこれからも新古典時代の絵画をより完璧たらしめ、どんなわずかな様相も見のがすことなく、すべてを網羅し、変化に富んだ展示をするよう心掛けねばならないのである。