MIND BBS 〜掲示板〜

愛虹ことり魚さんへ

スマホリング

18.08.27 01:07

先日ある店でかわいいインコのデザインの洋服を見かけました。お会いしたことのないあなたですが、愛虹ことり魚さん元気かな?って思いました。タイトルが《絵を見て感じて》という作品、とても感性豊かな素晴らしい文才をお持ちの方だなぁと、楽しみと癒しをいただいております。ひさびさの書き込みありがとうございます。ここで教えてもらった作品を知り本屋や映画館や博物館や美術館に足を運んでみようかなと考えることもあります。たしかにここで不特定多数の人が知ることで、あなたが一生懸命に考え作った作品が、別の誰かの作品として世に出てしまうというリスクもある。そうなってしまったら本当の作者ではなく引用した誰かが作者として評価されるわけですからとても悲しいです。私は石井竜也さんだけではなく、いつも元気をくれるあなたの作品のファンでもあります。あなたの感性と才能を大切にしてください。

危機管理

Summer Ends

18.08.26 21:40

限定された人しか見られない場所に書かれていた事を、不特定多数の人が
見る事ができる場所にカキコするのは如何なものでしょうか。
この方を端緒に大胆に書き込む人が増えたら
収拾がつかない。そうなった場合、どう対応されますか?

私たちはここにお邪魔させていただいている【客】。
石井さんやスタッフさんがMFMに関する以外の事は
カキコしないのに、ごく少人数だけど、取り敢えず
MFMに関する事を書けば後は何でも書いても良いなんて、勝手なルールを
作り、それを軌道修正する方々の行動を踏み躙る。
ざんねんな・・・。



戦争ーそれは

くもりのちはれ

18.08.26 19:15

私達ほとんどの日本人が、戦争は起こしてはいけないものと考えるのと同じように、戦争は必要と考える人達が、いつの時代にもこの世のどこかには、必ず、少なからずいるからなのではないのかな…という考えに至りました。そう考えているからといって、即実行というわけでもありませんが…。本当に、解くのは難しい問題ですよね。戦争のない時代を過ごせている日本のような国もあれば、同じ時代を戦争ばかりで過ごしている国もあるわけで…。

そして、前戦中の人達にもそれぞれ宗教があるわけで、「神に御加護を」や日曜日の教会での祈りがある。その矛盾を石井さんは疑問に思われているのですよね。私も、やっていることが真逆じゃないかと思います。
考えてみると、実際行っていること(大量殺人、それを称える行為)と祈りは、別物に考えているのかなと思いました。実行していることは、石井さんも仰っているようにゲームのような感覚?または、職務の一貫としてだけのことと割り切られているのかな…とも考えられませんか?とても悲しいこと、やるせないことですけれど。。

宗教間の戦争についても考え出していました。考えても考えても、納得行くような答えなどは出ません。
そんな時、SNSでこんな言葉を見つけました。『神様は、そんなことは教えちゃいない。神様は正しいことはどんなことか知りはしないよ。』これは岡本太郎さんの言葉だそうです。どんな場面、どんなことに対しての言葉なのかはわかりませんが、私はこの言葉に少し救われた気がしました。
この考えが、もし、神を崇める各宗教の教徒達にも、ほんの少しでも入ったら、戦争なんて考えも起こらないのではないのかな?…なんて思ったからです。でも、頭からその宗教に入り込んでしまっている人達には、そんな考えさえも許されませんよね。。本当に難しい問題です。
戦争のない世界なんて、無いものと諦めるしかないのでしょうかね…。


人間だから

愛虹ことり魚

18.08.26 15:39

それが、人間という生き物だから
というのが今の私の答え、なのかもしれないです

命を大切に、というのは2つあって
自分の命を大切に
皆の命を大切に
なのではないかなって思いました
殺害するということだと、たとえばこんな感じなのかなと思います

自分の命を大切に

自分の、というのは、自分が大切にする範囲という感じでしょうか
あちら側があって、こちら側とあちら側がある
こちら側の範囲は様々です

自分の命を危ぶむものは無いほうがいい
危ぶむものを悪とするして、悪が生き物の場合に、居なくなればいいという結論のもと、殺害することにたどり着いたのではないのかなと思う
自分の命を大切にしたいのに苦しめている悪がいる、このまま幸せに暮らしたいのに、それを邪魔する悪がいる
悪なので、殺害したとしても、それは仕方のない事
悪は悪くて、悪いのは悪だから

それは、身近な架空の話の中にもあって、そんな話が普通になっていると思う
ヒーローものとか、ゲームとか、映画に本に絵に物語に・・・
子どもの頃から身近にありました


皆の命を大切に

虫の命も殺さない、蚊も殺さない
誰かを殺すということをしない
相手を尊重する
小さな生き物も尊重する

戦いの話は、敵がいて成り立つ
敵は、自分たちを苦しめる悪なので、居なくならない限り、今の苦しみが、未来の苦しみが無くなることはない
敵をやっつけると、その苦しみが無くなるので戦う
敵を憎いと思うほど、それは正当なはずなので、自分は良いことをしていると思っている

敵も同じことを考えている
だから、英雄だと思っていた人物が、逆の立場から描いたら、すっごい悪者になっている
なので、両方向からの話だと、その人はいい人なのか悪い人なのかわからなくなります
自分の味方で、自分を守ってくれたなら、英雄です

実際に会ったとしたら、良い面と悪い面があるのかな
人なんだなーって思うのかな、英雄に思えるのかな、鬼に見えるのかな
その時代の、その環境の、その立場の、そこに存在している人の想いと行動なのかな
どこまで解るのか気がつくのかは、わからないけれど
人って複雑なので、一概には、簡単にはわからないと思います
自分のことを、全て知って理解してる人っているのかなーって思うので、誰でも、ある面しか知らないんじゃないかなって思いました

いじめも似てる
悪くないのに、悪者にするのは簡単なのかもしれないなって思うことがありました
いじめにまでは発展しなかったけど
あの時の感じを思い出します

何を信じても自由だけど、これは良い教えだけど、これはどうなの?とか、こう説いているけど、実際は違うこと強要してるけど?とか
理想と現実というか、表向きと裏側というか
なんか変なのに普通みたいになっていて、それは変ですよって言う人が悪者になって苦しめられたりして
そういうのが恐いなって思います

なので、自分を見失わないことが必要なのかなと思いました

たくさんの命が育まれている地球なので、命を大切にするのは、とても難しいことなのかもしれないです

なんか言葉はまとまらないですが、今は自分の中では、気がつけば前より落ち着いているような気がします
この場所と、いろいろな場所で伝えてくれる様々な想いのおかげです
石井さん、皆さま、いつもどうもありがとうございます
適度なあきらめも含め、これからも命を大切にしながら、生きてゆきたいと思っています

皆さまにおかれましても、言葉にはできないこととか、それぞれいろいろな事があるかと思いますが、どうぞお大事にお過ごしくださいね

行き帰りのバスの中で感じたこと

KABE

18.08.26 07:25



川越市立博物館第28回収蔵品展
戦中・戦後の川越の歩み

見学してきました。
そちらに向かうバスの中では、小さな翻訳機みたいなものが個人が所有するのではなく、バスに設置されていれば良いのにな。と思いました。

帰りのバスではさまざまな境遇や国籍の人たちが相乗りしている一台のバスの中で、全くコミュニケーションが無くてもトラブルなくその場所を共有できていることに、平和を感じました。

川越の街の寺周りをしたり、着物や浴衣をレンタルしたり。
たくさんの外国の人たちが日本の文化を知ろうとしています。



戦争

はまぼうふう

18.08.25 23:03

小さなコミュニティの中でも争いがあります。
人を殺めてまでの争いではありませんが、コミュニティから排除しようとします。

地球上に何人以上生存していたら、お互いを殺めるまでの戦いはしないのでしょうか?
二人、三人、四人?
人は一人では生きて行けない。
お金も名誉も相手が在ってこそ

最後の一人になりたくはないので、少しくらい苦手な人でも嫌いな人でも、距離を取って共に生きていきたい。

意味がわかりません。

ナナシ

18.08.25 22:33

命は大切に…この当たり前の言葉がありますよね。
どういう意味でしょうか?

矛盾だらけですね、個人を狙い殺す?
クリスチャンがいたとして…

集団の良さもあったのでは?利権が絡んでいるのですね?
最悪な行為です。
お金が命より重いとは…

どこへ向かっているのかさっぱりわからない、
それは悩みの根本的な問題ではないですか。
納得?
その話しをどうとらえても、納得は
ありえません。
何を、考えたら良い方向に、向かうのか…そう思うと、
正直、悲しい気持ちでいっぱいです。

テロリストと名乗る人の更生は可能でしょうか

KABE

18.08.25 16:07

わざわざ警察署の目の前で人間を暗殺する人はいない。自国で自国の軍人が、他国から受け入れた移民や不法労働者を殺害すれば、罪に問われる。移民として受け入れる前に難民として彷徨い移動している状況の外国で殺害すれば、罪に問われる可能性は少ない。着の身着のまま歩くのもやっとの傷だらけの移民や難民にできることって一体なんだろう?成果や結果を出さなければすぐに責任を問われ、叩き落とされるのは、日本でもあること。戦争で亡くなった人たちは、自分を殺害してくれと軍人やテロリストと呼ばれている人達に懇願し、望んだんだろうか。生きたいと主張したならば、殺害すべきではないですね。
平和な場所から、客観的かつ冷静に考えるとこのように思う。

殺害する側、殺害される側の、当事者となった場合、実際の戦場に立たされた場合、言葉で説明することは難しいと思います。戦争反対。

なぜ、戦争は起こるのでしょう?

石井竜也

18.08.24 18:24

すべての宗教には、必ず命の尊さが印されています。しかも、神との関係は、この一つしかない命が必ず、基本軸になって語られています。そこからの死であり、そこからの教えであり、そこからの信仰なはずなのです。しかし、兵器で、人は人を殺します。時にはなんの意味もなく、時には、何百万人という命を、いとも簡単に虫けら以下に殺します。こんなにも、素晴らしい言葉や教えを、敬虔に祈っていても、原子爆弾をつくり、一つの国をも、壊滅させます。これは一体どういう事なのでしょうか?しかも、どの国、子どもたちの教育にも、勝手に人を殺してもいいなんてことは、一言も書いてはおりません。僕は、いつも、考えこんでしまうのです。僕たちはどこに向かっているのだろう?ということを。自分の失敗を人や敵対国に押しつけたり、誰が見ても聞いてもわかるようなウソを、息を吐くようにつく人間。しかも、社会システムは、命の重みより、経済を優先する。この世界の何処に、神の救いなど、見ることが出来るのでしょう。こと、現代に置いては、ドローン機の様に遥か彼方から、たった一人を殺す道具まで発明され、それさえあれば、ゲームのように、あっさり、罪悪感も湧かず、人を、神の許しも得ず、敬虔なクリスチャンが、イスラムの人びとを、心無く殺すことが出来るのです。命中すると、仲間から「グッド、キル!!」と、絶賛されます。要するに、上手く殺したな!と言う意味です。その隊員達は、日曜日には、家族として、教会に出向き、我々を助けてくださいと、祈るわけです。これ・・・意味が分かりますか?この矛盾。善悪、人情、愛、慈悲、この全てを忘れてた、殺し合った後に行く教会の神の言葉。僕は、不思議でなりません。アメリカの大統領の最後の言葉が、どんな残酷な作戦でも、「神の御加護を!」と言うのも、全然、納得出来ないで、実は今まで生きてきました。結局は経済的問題を抱えた同志の金の戦争です。そりゃあ、プライドも、あるでしょう、悔しさもあるのかもしれません。でも、ここまでで、何十万人、何百万人を殺す動機になりますか?よく使う単語で「大義」と言う言葉があります。皆さんは、このどうしようもない人間同士の殺し合いを、どう、自分の中で納得されているのですか?・・・・・教えて下さい。

この季節故に

かざぐるま

18.08.24 13:46

皆さん、台風にお気をつけて下さい。

⬇︎台風情報
https://tenki.jp/lite/bousai/warn/

以上の情報では、警告、注意報が出ています。
充分にお気をつけて下さい。

避難勧告が出ている地域もあります。
早めの対策を取って下さい。

最新の発言に戻る

category

【ATTENTION】
当サイトでは、BBS内に書き込まれたURLのリンク先の情報、またその内容から発生するあらゆる問題についての責任は負いかねます。

BBSご利用上の注意