MIND BBS 〜掲示板〜

ブレーズ・デュコス氏の感性

KABE

18.08.16 07:02

ルーブル美術館ブレーズ・デュコス氏の感性
情報源 日本テレビ放送網株式会社発行
ルーブル美術館展ー17世紀ヨーロッパ絵画 資料本

絵画の作者 ヨハネス・フェルメール[1632-1675]
作品 《レースを編む女》
1669-1670年頃
油彩、カンヴァス〈板に貼付〉
24×21cm

本作品は、ヨハネス・フェルメールによっておそらく1669-1670年頃に描かれたもので、ルーブル美術館で最もよく知られた作品のひとつである。だが、この声明を思い誤ってはいけない。オランダの人々は、フェルメールの名声はすでに1810年代から、彼が生まれた国で再興し始めていたと当然主張するかもしれないが、ひとりのフランス人、テオフィル・トレ(別名ウィリアム・ビュルガー)にこそ、フェルメールを再び歴史の表舞台に戻す栄誉が帰せられるのである。フランスだけではなくヨーロッパ全土の個人または公的コレクションを訪れ、それについて一連の論文や解説を執筆する中で、彼はオランダの支持者となった。1866年に彼が著した「ファン・デル・メール・ド・デルフト」と題したフェルメールに関する論文は、巨匠の再発見の承認となる。専門家のあいだでの熱狂は、1870年のルーブルによる《レースを編む女》の購入に必然的に貢献した。
トレが、名前を聞いても同時代の人々が怪訝な顔をするだけだったこの画家に興味を抱いた理由は、今日フェルメールの絵画を取り巻く称賛の理由とは異なっている。トレがフェルメールの芸術に見たのは、日々の仕事に忙殺される、取るに足らない人々の姿だった。今日最もよくフェルメールの作品に結び付けられる特徴、たとえは神秘、それは純粋性に対する生来の感覚がもたらす謎のようなものであり、さり気なく巧緻に抑制された形態であるが、トレにとっては、これらの深遠さは、人間の条件を高貴なものにするヴィジョンの中から得られているように思われた。今日では、この直観は、1660年代のデルフトに住んでいた人が抱いていた考えの反映というよりも、第二帝政期に生きる人間の関心の表われのように見える。
そうして見ると、《レースを編む女》を称賛する際、どんな価値システムの中に位置付け得るかよくわからない事柄に言及していたとしても、さほど驚くこともないだろう。現実主義や巧みな再現という特質から、この、小さな絵を称えるべきなのであろうか。称えるべきは、描かれている少女のみずみずしさや美しさなのだろうか。さらにそこから導かれる家庭内ての慎ましさなのだろうか…。とはいえ、卓越した技法についてもおろそかにはできない。フェルメールは主題を描くにあたってカメラ・オブスクーラの助けを借りていたと思われる(これによって、幾つかの色の帯が説明できるかもしれない)。また本作品に関しては、すばらしい空間の演出を挙げることもできるだろう。
実際これらのことは、仕事中の上流階級の女性(レース製作に勤しむ職人ではない)や、さまざまな色合いの糸をはみ出させた前景の裁縫用のクッションを描いたこのイメージの魅力と不可分である。集中、慎み、静寂…。すべてはこの日常の場面を未知なる深遠へと導く。この絵は客観的な描写と巧みな美を結び合わせている。それはフェルメール特有の組合わせであり、良き趣味の教えである。

太平の祷り。

ジャッコ

18.08.16 00:01

茹だる様な暑さ。陽炎・面影揺れる夏の道。日本で…世界で数多の哀しみ・命が散っていった。
鎮魂を、太平を祷る。沢山の人々の「もしも」を想う、運命・人生が変わったかも知れないと…勿論、抗えない事柄も。
戦争…どちらも正義を掲げる。起こさない・巻き込まれない為にも何が出来るのか…考え続け語り続ける。

アナタに逢ってみたかった……繋がりを有り難う。

追伸・・・大阪での「-陣 JIN-」10日目の中盤戦終了、本当にお疲れ様でした!常に進化+遊び心一杯の陣。終盤戦、Last Spurt…第1弾が大団円となります様に御祈り&応援しております。

戦争

浅野洋子

18.08.15 23:52


終戦記念日 戦争を二度と繰り返さないように平和な世界を願っています。
戦争で大勢の人々を悲しい思いをしてほしくない為に戦争はやらない。

石井さん、出演者の皆さん「-陣 JIN-」10日間お疲れさまでした。あと残り4日頑張ってください。
大阪新歌舞伎座「-陣 JIN-」を観に行くのを楽しみです。


地球💕

依田志保

18.08.15 10:49

平和で素敵な地球をで有り続けます様に💕

太郎ちゃんの夢 《Valse de Passe》

DREAMS COME TRUE*\(^o^)/*

18.08.15 09:11

あこがれの存在、ステファン・グラッペリの愛奏曲の中でも、特に大好きな曲。きっと、これからの人生の様々な場面でも、奏でていくことと思います。その時の自分は、どんな空気のなかで、何を感じながら、ヴァイオリンを弾いているんだろう。いつか、ステファンも見上げたであろう、パリの下で、この曲を演奏してみたい。そんな夢も抱きながら、これからも大切に奏でていきます。(アルバム 希望の景色より抜粋)

貝殻学

koki

18.08.14 17:00

作者 アドリアーン・コールテ[1665頃-1707以降]
作品名《5つの貝殻》
1696年
油彩、紙(板に貼付)
15.5×22cm
署名、年記あり


17世紀のオランダでは、画家たちの貝殻への関心は、アルドロヴァンディやベスラー、ゲスナーのような碩学の一連の研究に続く蒐集家たちの熱意と歩調を合わせている。16世紀、彼らはその研究テーマとして貝殻学も含めていたのである。このような理由から、画家たちは貝殻学に精通するようになっており、西インド諸島と東インド諸島から、ヨーロッパの二大開港アムステルダムとロンドンにもたらされた多種多様な貝殻を描写した。ルーメル・フィッセルが著した『寓意図像集』(1614)によれば、貝殻の蒐集は、莫大な利益をもたらす市場を形成するほどであった。こうして、愛好家たちは、彼らの珍品陳列室を飾るため、貝殻の標本とともに、それらを描いた絵画を探し求めた。
アドリアーン・コールテの静物画は、北部ネーデルラントに伝統的な貝殻を描いた小品、とりわけバルタザール・ファン・デル・アスト(ミッデルブルフ、デルフト、ユトレヒトで活動、1657年没)の作品と密接に結び付いていた。貝殻だけをモティーフとした静物画と言えば、レンブラントが1650年に制作したエッチング《貝殻》やヴェンセスラウス・ホラー(1607-1677)による38葉の版画シリーズが思い浮かぶが、オランダの静物画のモティーフとしてあまり一般的なものとは言えない。
1696年から1698年にかけて、コールテは貝殻の小品を何枚も紙に描いている。本作品は、おそらく、ルーブル美術館に所蔵される別の1点の対作品として制作されたと思われる。双方とも光源を画面左にとり、また、テーブルの縁も呼応し合うように構成されているからである。寸分の無駄もない構図は、まさに紙一重で奇妙にも思われるほど禁欲的であり、亀裂の入った石の縁が画面と完全に平行に配置されている。その石の上に南国の海で採取された5つの貝殻が載せられているが、その幾つかはカリブ海の原産で、たとえば、奥の右はガクフボラ、手前右端はクロボシベッコウバイである。それらの貝殻の多様な形状、色、構造、外観、大きさなどがよく見えるように、どこも重なり合わないよう配慮して並べられたように見える。正確な技法、とりわけ仕上げと、凝った描き方によって、貝殻は完璧なる珍品へと仕上げられ、性的意味合いや現世の富の虚しさの暗示といった、よくある象徴主義は剥ぎ取られている。

エンゲルベルト・ケンペルの話の続き

KABE

18.08.14 09:50

別件 第二次世界大戦勃発 1939年

本題
ヨーロッパで展開していた庭園とは、何と対照的なことか。日本に見られた庭園とは逆に、17世紀ヨーロッパの庭園は、交易や流通や外来品がなくては成立しない場であった。本稿でまず取り上げる植物園(レイデン・ピサ・モンペリエ・フライブルクなどにある)は、この点で、ヨーロッパが世界に開いていく過程を示す模範である。端的に言うと、この世界へと開く潮流が植民地事業と強く結び付いていることを問わなければならない。ヒマワリ、リュウゼツラン、トマトのヨーロッパへの輸入と馴化を、ヨーロッパ人入植者の率いる征服遠征抜きで理解できるだろうか。探検、獲得、成果を求めるヨーロッパの事業は、日本が理想とした自給自足と対照をなす。ゆえに、17世紀の旧大陸の庭園からは、ヨーロッパの科学文化が、まさに、海洋国家の航海者が着手した探検に負っていることが窺える。その海洋国家とは、イギリス、衰退しつつあったがスペイン、オランダ、勢力は比較的小さいがフランスとロシアである。実際、「黄金の世紀」においては、一度通過した道を再度通ることなく出発点に戻る世界航海が広がっていた。

戦後の歩み

beige

18.08.14 00:10

昭和20年(1945)8月15日正午、昭和天皇によるラジオ放送(玉音放送)で、日本がポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏したことが国民に告げられました。川越では大きな空襲などの被害はありませんでしたが、空襲警報のたびに授業が中止になり防空壕に入るような生活は終わりを迎えました。その後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令に従い、日本政府による民主化を基本とする戦後改革が行われました。その最も大きい改革が、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を基本原理とする、昭和21年11月3日の日本国憲法の公布でした。また、翌年の教育基本法により、小学校6年・中学校3年の六三制の義務教育が始まりました。戦後しばらくは配給制が続くなど厳しい生活が続きましたが、着実に自立・復興への道を歩み始めました。

マイメロ

しーちゃん

18.08.13 20:20

覚せい剤
兆害有して
人でなし

作品 アンドロメダを救うペルセウス の解説

koki

18.08.13 18:22

作者 ヨアヒム・ウテワール[1566-1638]
作品 アンドロメダを救うペルセウス(1611年)
油絵、カンヴァス180×150
署名、年記あり


ユトレヒトの画家ヨアヒム・ウテワールによる《アンドロメダを救うペルセウス》は、さまざまな観点から論ずることのできる作品である。まず、この作品は、17世紀初頭になってもなお継続していたオランダ・マニエリスムを例証するような特徴を具えている。同時に、北方絵画において、神話主題のレパートリーがいかに活気を帯びていたかを物語っている。また、自然主義と人工性が混在するウテワールの作品の特徴を示す好例でもある。さらに、この絵は、異国の風情漂う豪華な品々を所有することへのオランダ人の誇りを明白に具現化するものでもある。
ウテワールが選択した構図は大胆である。最前景では、巨大な女性裸体像が画面の天地の長さすべてを占める一方、貝殻、頭蓋骨、人骨からなる、信じられないほど見事な集積物が所狭しと散らばっている。その向こうでは、龍と英雄の戦闘が繰り広げられ、背景には、どちらかと言えばフランドル風の青みを帯びた夢幻的な風景が広がっている。画家は明らかに、古代ローマの詩人オウィディウスによる『変身物語』の中の「ペルセウスとアンドロメダ」という偉大な古典的主題の演出の刷新を図るろうとしている。痛ましい成行きから怪物へ与えられることが約束された美しいアンドロメダを救い出そうと、有翼の馬ペガサスに跨ったペルセウスは中空に浮かんでいる。画面左の後景に姿を覗かせる王女の両親は、この若い戦士の働きに報いて娘を与えることになる。
貝殻学はここに、格好の研究領域を見つけるだろう。ウテワールが描き出した貝殻は、実際に存在するものであり、精緻な観察に基づいている。そして、明らかに、この精緻な観察によって、画家は貴重な貝殻に特有の真珠のような光沢を湛えた色調を画面全体に与えることになった。とりわけ、アンドロメダの肌の色には、青みがかった鉛色と薔薇色と灰色と絶妙な混合が見られる。これらの貝殻は、オランダの船乗りたちが世界周遊の旅から持ち帰ってきたものであった。17世紀の大半にわたって、オランダが海の覇者であったことは、歴史的事実であり、オランダの画家たちはその恩恵に与った。
さて、「科学革命の時代」において、超自然的な物語の挿絵を主題としたこの絵画をいかに解釈すべきか。ふたつの論点を提案することができるだろう。ひとつは、絵画の伝統に関係している。つまり、ウテワールが、古典文化の偉大な代理人たるルネサンスの芸術家たちの系譜の中で制作していたということである。もうひとつは、絵画をほかから孤立させて理解するのは誤りであるということである。この種のイメージは、インドや南米から帰国した人々がしたためた旅行記に見られる多数の挿絵に登場する伝説上の怪物の姿を彷彿とさせる。ペルセウスが闘う龍は、イエズス会の修道士たちが伝播させていた異国の動植物を集めた一群の書物の中に見出すことができるだろう。

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