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GROUND ANGEL 2002-2011の
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SPECIAL3 LATER 〜特別企画3・その後〜
Chapter4. この時期に活動できる命を与えられているのは、役目があるから
大谷 本当にいろんなことがあるけど、今回は、私達の西洋的アメリカ的で、都会的現代的な考え方を、悪いと言うんじゃなくて、もう一度1回立ち止まって見直すべきかもしれませんね。
石井 否定する必要はないですけどね。
大谷 否定してもしかたがない。先輩達が努力してきたことが嘘だということになる。これから僕らがどうそれを踏み台にしていくかであって、決して否定語を吐いてはいけないと思うんです。
石井 僕は原発に関しては、もう1回歴史を見直す必要があるんじゃないかと思います。近代の日本の歴史というのは、終戦後どういう状況にあったか、アイゼンハワーがクリーンなエネルギーとか言い出して、それを日本が買わざるを得ないような状況を作らされたわけです。いい押し売りの相手だった。でも日本は逃げられない、負けてしまった国の弱さもあったと思うんですよね。だから何十基目までは負けたツケで買わされてしようがないかなとも思えるけど、何十基目からは間違いだったと思うんです。“これはオイシイぞ”と気がついたヤツが、多分そこここに出てきちゃったと思うんです。その頃の政治や社会状況を、皆がちゃんと見直さないと駄目だと思いますね。
大谷
原発も、こんな地震の多い国で作ることが間違っているんであって、ないところで作れば何でもないかもしれない。そう考えると、所詮人間のエゴであって、自分達で自分達の首を絞めているんだと思いますね。
大谷
原発だけは、みんなで見極めながらしっかりと次のことを考えて、まだトドメを刺されていない間に頑張らないと。
石井
心に勇気を持たせることは、多分俺達歌い手にはできるんだと思うんですよ。この間、谷村新司さんとテレビに出た時に、谷村さんに「石井君、こういう時こそ俺達は本当にいい曲作らなきゃだめだよな」と言われたんです。「俺達は本物か偽物かって、そんなことを気にしてきたけど、そんなのは歴史が決めることで、こういう時にこそいい曲を作れるやつこそ本物なんだよ」って。本当にそうだなあと思ったんですよね。俺なんか単純なんで、「よし!いい曲作るぞ!」とか思っちゃってるんです。
大谷
この時期に活動できる命を与えられているということは、役目があるからなんですよね。
石井
本当にそうですね。やっぱり僕ら歌い手は、昔で言う吟遊詩人みたいなもんで、結局歌って歩いて、そのうち俺の名前なんか消えちゃうかもしれないけど、歌は残っている、そういうことができる立場に居ると思っているんです。今はそんな思いで歌を作っていて、次のアルバムには、ガサガサした曲じゃなくて、癒せる曲とか、少しでも気持ちに添えるような歌ができるといいなと思ってるんですけどね。
大谷
それが整ったら、薬師寺で1年間に何回かお堂の中で奉納というのがあるので、仏様の前で、仏様に“訴え” にきてくださいよ。
石井
ぜひ行きたいですね。薬師寺と関わらせて頂いて一番自分が変わったのは、人がいて、自分がいて、生きられる程度の空気があって、生きられる程度の水が飲めて、生きられる程度のご飯を食べられて、それ以上のことを望むのは、これは傲慢だなと思うようになったことですね。自分ができるだけフラットにいるためには、現状を維持しようとしないで、一番苦しかった時の気持ちに常に戻れる自分を作っておくのが一番楽かもしれないなって。
大谷
人間って、ある程度頑張っちゃうと、ストイックになっちゃうんですよ。
石井
維持しようとしますからね。どうしても。
大谷
ストイックになって、いいことってないんですよ。修行していてすごくよくわかる。こうでなければならない、坊さんはこうでなければならない、とストイックになっちゃうんだけど、いつのまにか自分がストイックになっているということがわからなくなっちゃうんですね。病気になってるのがわからないのと一緒で。今回の震災のお陰でそれに気づいたんです。もうちょっと適当に、腹減ったら「腹減った」でいいんじゃないのかなと思って。腹が減ってても「腹減った」って言うと格好悪いとか、そうじゃなくてね。
石井
格好いい、格好悪いというのは、流れゆくもので、その瞬間でしかないんですよね。体裁なんてものは、その時代のその瞬間でしかなくて、一番大切なものはもっと他にあると思うから、そこを大切に生きることは大事かもしれないですね。
大谷
一番今人間を脅かしているのはスピード感ですよ。人間はそう簡単に早くは育ちません。だけど会社は学校を卒業したばかりの人に一人前の給料を払う。その一人前の給料を取り戻そうと思ったら、使いつぶすしかないですよね。
石井
アメリカは牛に成長促進ホルモンをガンガン打って、ものすごいスピードで成長させるんだそうですね。脳みそも骨もグズグズなんですって。そういうのを食べていると、人間にも影響が出そうですよね。
大谷
今度リニアができて、東京-大阪間が1時間ほどで行けるという話があるじゃないですか。確かにそれはいいかもしれない。だけど玄奘三蔵さんというお方はね、仏教を求めて中国からインドに行くんですけど、バイリンガルなんです。少しずつ進んでいくうちに、言葉が変わっていって、向こうに着いた頃には通じちゃったって。それと一緒で、時間がかかるんですよ。なのに皆、スピードスピードと言ってしまうことに大きな間違いがある。スイッチを入れたらすぐ電気が点くというのも、昔はゴシゴシと火をつけていたのを考えると、スピード感があり過ぎるんだね。
石井
本当にそうですね。
大谷
スピードが速くなると、人間が希薄になる。たとえば旅に行けば、疲れたら寝るじゃないですか。でも今は疲れたら電車の中で寝るから、ずっと疲れている。石井さんもそうでしょ? コンサートをやって、エネルギーを使って、普通だったらああ一服、となるところが、急いで戻って次の準備しましょうか、って車の中で寝て、降りたらフルパワーで仕事をする。そんなんですよ、今の日本人って。何のために生きているのかなと。僕なんか我の塊のような人間だから、評価されたい、評価してほしいとそればっかりでやってきて、確かに評価もされるようになって、みんなから声もかけてもらえるようになったけど、随分大切なものを捨ててきちゃいましたよ。たとえば僕、子どもが成長するのをほとんど見ていないんです。家に帰らないから。
石井
でもそれは、大谷さんだけじゃなくて、日本人皆そうじゃないですか?
大谷
そう、でもそれを宗教者がやってしまうのは…って思うんですよ。
石井
でもきっと、もう社会のしくみがそうなっちゃってるんですよ。歯車と同じように、大きなものが動いちゃえば、小さい方も動かざるを得ないしくみになっている。でも良く見てみると、歯車のカムってうまくできていて、例えば1個1個歯抜けになっているところとか、3個くらいずつ抜けているところが作ってあって、それが綺麗な動きになったりするものなんです。でも全部同じ間隔のカムだと同じようにしか動かない。日本って今きっと同じ間隔で回っているんじゃないかな。1つが動き出すと他も皆動き出すみたいな。違いは大きいか小さいかくらいで、小さいとクルクルいっぱい動かないといけないだけで。
大谷
それを一般の人がやるのはいいとしても、僕は宗教家として、やはり坊さんとして自分が実践しなかったらしかたないと思って。僕のところにいっぱい手紙が来るんですけど、「大谷さん忙しすぎて話ができない」というのが一番多いんです。だから今回は、被災地に自分ひとりで入っていこう、宗教者として、自分で体験してみようと思って行ったんですね。今後あれを体験した自分が何をするのかということを、今毎日のように考えているんです。
石井
僕は宗教者というのは浮遊物であるべきなんじゃないかなと思いますね。
大谷
今回思ったんです。守るものもあり、自由に動けるものがあって、どちらかに偏らないで行き来できるような形がいいのかなと。被災地に対しては、同じところに何回も行こうと。それこそ1カ月に1辺でも。「また来たの?」って言われるくらいまで行こうかなと。
石井
一人の僧がそうやって動いて、また一人の僧がまた違うところに行って…としていったら、相当すごいことができますよね。
大谷
できると思う。そうするとちゃんと人間って情報を持ってるから、ネットワークができるんですよね。そうしたら社会ができる。
石井
スピードが全部悪いとは言わないですけど、デジタルのネットワークが、さも人の関わり合いの形みたいに言われることがある。でもやっぱり目と目で話して、膝と膝を突き合わせて初めてわかることってものすごい情報量なんですよね。
大谷
まともにしゃべってみないと、相手が何を考えているかなんて全くわからないですよ。人間は人間関係を気にしているから、最初から心を開いてくれないの。
石井
僕は思ったんですよ。いきなり外からいろんなものを運んだりすることもいいけれども、皆さんが自分の足でがっちりともう一回ここを立て直そうと動き出すまで、僕らはじっと見つめて、それが始まった時に「何かやることないですか」っていうのがいいのかなと。やっぱり、“みそぎ”というか、自分のことを色々考えなきゃいけない時期もあると思うんですよね。
大谷
僕は子育てによく似ていると思うんです。子育てに関しては、親がああだこうだと、今テレビの評論なんか見ても好きなことを言っているわけじゃないですか。だけど、子どもには大人のような能力もないし、現場にはスピード感はないわけですよ。それは少しずつ直していくしかない。自転車に乗ろうと思った時に、こけたりしながら、だけど親は変わってやれないわけじゃないですか。それと同じで、今子供が自立しようというところをバックアップすることが大事で、無理やり手を持って引っ張ってやることが大事ではないと思うんですよね。
石井
無理やりにやっていることは、どこか押し売りになっちゃう気がするんですよね。だから俺なんかはこういうふうに思うようにしたんです。俺の立場でいえば、ときどき行って、自分のやれることは歌だから、歌うと。そして皆のために歌を作る。もちろん、ポロシャツを持って行くくらいのできることはやる。だけど、それ以上のことをしようとしても、家を建てられるわけじゃあるまいし、できるわけじゃないから、その方達が自立するのを見守って、自立した時に拍手する観客じゃないと駄目なんじゃないかなと。本当のエンターティナーになろうと、僕は行ったときに思いました。皆がヒット曲を歌うと笑顔になるわけですよ。1曲でも2曲でもヒットしててよかったな~とかね、それで嬉しいとか有難いとか思ってくれたらもう十分だって。それしかないなと思ってね。
大谷
それぞれがやれることをやればいい、というのが今回の結論だね。
石井
そうですね。それと、何か大きなことが起こった時というのは、政治なんていうのは何の役にも立たないんだなって。そういう人材を選んで、そういうことを頼りにしていた自分達も愚かしかったと思わないといけませんね。
大谷
そういう風に政治を弱めてしまったのは、自業自得の部分もありますよ。
石井
俺達は、反省すべきところは反省しないと、誰かのせいにばっかりしていると結局また同じことが起こるなということだけははっきりしましたね。
大谷
仏教は誰も助けてくれない、自立の宗教だということが今回すごくよくわかりました。あまりにも皆が神に祈れば救われる、神に祈れば儲かるんだと間違ってきたから、お釈迦が誕生して、「誰も救ってくれないよ、感謝はしてもいいけれども、救ってはくれないよ」と説いたんだなと。
石井
神というのは時にやっぱり人間と同じように怒るんですよ。ひっぱたかれれば、やっぱり何をやってるんだって怒るわけですよ。人間は、相当ひどいことをやってきてるわけですから。しっぺ返しは来ますよ。覚悟してこれからの人は生きていかなきゃいけないし、俺達の子ども達は大変な想いをするかもしれないけど、決して弱い人間にはならないだろうなとは思いますね。絶対強い人間に育つんだろうなと思いますよ。
大谷
そこからいいリーダーが出てくれるといいですね。
石井
本当にそうですね。
大谷
何となく今までの壊しきれなかった人間関係を、自然が壊してくれたんじゃないかって。
石井
そんな気がしますね。
大谷
そのくらいポジティブに受け止めないと。
石井
そうだと思います。しがらみとか、なぁなぁとか、そういうことは全部依存症ですよ。人と人の依存症ですよ。人間というのは、それぞれ悪いところは必ずあるわけですから、それを言われるのは嫌だから、人にも言わない。そして言わないから人も言ってくれない関係になるんです。でもそれを親友だと思っちゃうんですね。違いますよね。ぶん殴っても引き戻す、それが親友だと思うんです。これで友情が無くなるかもしれないけど、あいつのためになんねえって立ち上がるのが友情のはずなのに、友達じゃなくなっちゃうのが怖いから、ここは黙っていよう、って。それは友情じゃないですよ。
大谷
目先のことや利害にとらわれないで、今回自然が僕らに何を示唆してくれているのかを考えて生きて行くことが大事ですよね。
石井
情愛だったりとか、慈しみだったりとか、そういう今の人達が“クサイよ”という場所。そういう場所が、どんなに人間同士の間で大切なものだったかがわかりますよね。その中に僕は“信仰”も入っていると思います。
大谷
今回東北の人が耐えられたのは信仰心があったからですね。東京だったら大変でしたよ。
石井
逃げ惑って人殺して、自分だけ助かるって人ばっかりだったら、これはすごい修羅場だったでしょうね。
大谷
今日はお会いできて良かったです。僕もいろいろ回ってきた後から、被災地に対しての思いは全然違うんですが、石井さんに今日最初にお会いした時にも、顔色変わってらっしゃるなと思いましたよ。
石井
あの時はちょっとノイローゼだったですからね。えらいものをしょいこんじゃったって、どうしたらいいんだろうって。
大谷
北茨城の自分のお家のこともあったから、余計ですよね。
石井
やっぱりパニクってたんでしょうね。自分でもわからないところで、人というのは随分揺れ動いているものなんですね。自分では冷静なつもりでいても。
大谷
行った時に何ができるだろうか、何をしなきゃいけないだろうかと、すごい背負いはったと思うんですよ。だけど行かれて、歌をうたって、できることをやればいいんだと。結局落とし所はそこじゃないですか。
石井
本当にそうですね。自分が出来ることといっても、たかが知れているとは思っていたんですが、東北のファンも多かったし、自分の故郷のこともあったせいか、“このままジッとしてていいんだろうか、俺のできることは何なんだろう”と、そんなことばかり考えちゃって、結局自分を失くしてしまうというのは、そういうところから始まるのかな。結局何かをしなきゃということが間違っていて、“気が付いたらやっていた”のはいいけど“しなきゃ”と思ってやることは、施しと同じなんですよね。それは駄目なんじゃないかなと思いますね。続かないし。
大谷
本当に、続かないことはやっちゃいけない。
石井
前回の対談をサイトに掲載せさせて頂いて、「人間なんてできることは限られてるんですよ、私は2週間も酒びたりになりましたよ」っていう大谷さんの言葉を読んで、「ああ、やっぱ自分一人ができることって限られてるんですよね、ずっと悩んでいたけど、悩んでいてもしようがないんだなっていうのがわかりました。だったら今自分でできることの精一杯をしてみます」みたいなメールをたくさん頂きましたね。
大谷
今回、ずっと遺体置き場を回ったりしていて、死んだ人のことは仕方ないと思ったんですね。そこで学んだのは、いつかは僕もそこへいく、だけど今生きている。今生きている命のことについてだけは責任を持って生きていこうと思ったんですね。その時に宗教者というこの衣を着て、仏さんのお弟子にならせていただけたということは、すごいことだと思ってるんです。
石井
自分の意志を皆が聞いてくれる年齢に達している時に、こういうことが起こっているということは、ある意味は幸せなことかもしれないですよね。
大谷
今度チャンスがあったら一緒に東北に行きましょうよ。
石井
ぜひご一緒させてください。
大谷
1万人の歌も楽しみにしていますね。
石井
ぜひともまず奉納させて頂きたいです。どうもありがとうございました。
- Chapter1. 今の依存型の社会をどこかで終わらせなきゃいけない
- Chapter2. たった1回の人生をどう生きていくかという時、誰も救ってはくれない
- Chapter3. 顔も見ることのない、孫の先の世代のために何を残すか
- Chapter4. この時期に活動できる命を与えられているのは、役目があるから