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GROUND ANGEL 2002-2011の
活動内容はコチラ
SPECIAL 〜特別企画〜
Chapter1. ちゃんとした情報を伝えて、選択くらいはさせてあげるべき
石井 震災後に「MIND from MIND」というHPを立ち上げたんです。被害を受けた人と、支援をしたい人との心の交流や情報交換ができればいいなと思って。でも時間が経つごとに、その中で僕は何を発信していったらいいんだろうと悩むようになって。「早く逃げたほうがいい」と、実はこの間そのBBSに書いたんですけど、下手にパニックになってしまうんじゃないかということで、皆でそれを消してしまったり、いや必要なんだと出してみたりの繰り返しで。そんなこともあって、チェルノブイリを長い間取材されてきて、今回の震災でも現場を見て来られた広河さんに、いろいろとお話しを伺いたいと思っているんです。今回はどのあたりに行かれたんですか?
広河 地震の翌日出かけて、今までに2回行ってるんですけど、福島県の南相馬市、双葉町、浪江町、川内村、田村市、飯館村、宮城県の石巻市、気仙沼市、岩手県の陸前高田市、釜石市、宮古市…あたりです。僕も福島県の川内村の避難所に行ったときに、自分の持って行った放射線測定器の針が大きく振れたものだから、「こんなに数値が上がっているから、ここは危ないです!」って皆に言おうとよっぽど思ったんです。子ども達もそこにいっぱいいたし。だけどそれを言えばパニックになると思って必死にこらえて、副村長の人にだけ、ここも双葉町もこんなに数値が上がっている、とにかく早く子どもと妊婦は出してください、その後あなたたちもここからすぐに出た方がいいと伝えたんです。その人は一所懸命数値を書き取っていてね。それから3日後の新聞を見たら、その村は自主避難してました。よかったなと思って。
石井 出すべきですよね、ちゃんとした情報を。

石井 ちゃんとした情報を伝えて、選択くらいはさせてあげるべきだと思うんです。残る人は残ってしかたないと思うけど、こうですよという事実だけは伝えないと。チョイスもできないというのは原爆と同じですよ。飛んできたミサイルに当たるのと同じです。僕らはニュースの映像とか雑誌の写真とかでしか見ていないですけど、現地に入ってみて、もう遺体はそこここに…という感じなんですか?
広河 僕は直接覗き込んで見たりはしていないですけれども、それを見て回った家族の人達に聞くと、本当に悲惨ですよね。自分の親族を探し回って、何人もの遺体を見ていくじゃないですか。一人の男性が、呆然として廃墟の中を歩いて来たんです。手には2つのかばんを持っていたんですよ。一つはヴィトンのバッグ、もう一つは小さな女の子の幼稚園カバン。聞けば奥さんと娘さんが津波にさらわれたと。もう一人幼稚園の男の子もいたんだけれども、その子は行方不明だと。しかも男の子が通っていた幼稚園では、幼稚園に残って避難した子は全員が助かったんだけれど、その息子さんだけは、地震の後におばあちゃんが迎えに行って、行方不明になったそうなんです。それでずっと彼は遺体安置所を回って息子さんを探して…「同じ年の子どもがいたんだけど、真っ黒焦げで、あれを自分の子どもと認めろと言われても…」と言葉を詰まらせていて。彼は家族全員亡くしたから、世の中で独りぼっちになってしまった、と言ってましたね。
石井 ぁぁ…。
広河 陸前高田では、地震から1週間くらい経っている頃に、まだ機動隊が生存者を探していた場所があって、その時に見つかったおじいちゃんと子どもの遺体はきれいだったんですって。寒かったからですよね。これからが大変ですよね。
石井 震災後、ある地域で何が欲しいですかというアンケートに、最初にあげられたのがドライアイスだったって聞いて、すごくショックで。なるほどなあ…と。収容された遺体は火葬できるまで少しでもきれいなままでいてほしいですもんね。とはいえ火葬も追いつかなくて、土葬されているそうですが…
広河 僕だったら最後の肉親との対面が、真っ黒焦げで炭化した姿というのは…その姿を最後の記憶として肉親の目に焼き付けたくはないですよね。
石井 そうですよね。