SPECIAL3 〜特別企画3〜

Chapter1. 今回の震災で、古(いにしえ)の人達が何故に神や仏にすがったかわかった気がした

石井  今回、心から心へ…という意味を込めて「MIND from MIND」というサイトを立ち上げたんです。最初はもう何かしなきゃという思いだけで、まずはコンサートを開いて。せっかくこういう位置に立たせて頂いているのに、何にもしない手はないだろうと、まずは子どもたちを何とかしなきゃいけないんじゃないか、学校を建てる機関があるのであれば、そういう機関に寄付をしたり、手伝えたりできたらいいなと思ったんですが、事はそんなに甘くなくて。


大谷  甘くないね、今回は。


石井  とてつもない範囲なわけですよ。断層のずれが南北400キロですから。“私達夫婦がなんで生き残っちゃったんだろう”と老夫婦が裏山に消えちゃうような、被災地はそういう状態なんだそうです。それを聞いて、これはちょっと今までの規模とは違うぞと。いろんな方にお話を聞けば聞くほど複雑怪奇に事がどんどん難しくなっていくわけですよ。話を聞けば聞くほど、どんどん恐怖だけが目の前に暖簾のように垂れ下がってきて、分けても分けても“危険"と書いてある暖簾が次から次へと降りてくる。どこまでこの暖簾を分けたらいいんだと。こういう時は誰と話したらいいんだろうとずっと考えていたときに、結局最後は気持ちなんだなと思って、大谷さんにご連絡したんです。今回の震災を通じて、古(いにしえ)の人達が何故に仏にすがったか、何故に神を信じたかが、良くわかるなと思ったわけです。死体が何百体もあって、それから自分の親を探せって言われても、それを中学生や小学生にさせるのは酷なわけですよ。顔がわからないような、陰も形もないような遺体を見た子どもは、これから一体どういう人生を送るんだろうと思うと、ちょっともう想像を超えてしまっていて…。


大谷   僕の友達が塩竈にいて、3~5日目くらいにやっと生きていた事がわかったんです。でも家は流されていて。とりあえず僕は自分の会がある仙台まで行って、彼のところに連絡をしたら、塩竈にはいませんって言うんです。石巻にいると。なんで石巻にいるのかと聞いたら、自分は家を流されただけで、誰も死んでないから、石巻の仲間を助けに来たと。


石井   被災地の人は、そうなんですよね。


大谷   「仲間のところが大変だから、僕はまだましだから」といって、花屋さんの倉庫を借りて、その人が物資を集めて配布して歩いてるんですね。僕も職業柄、厳しい環境の人に出会うことは多いし、またそういうのに比較的恐怖が無いので、被災地に行って製紙会社さんの丘の上から、無くなった町を見せてもらったんですよ。そうしたら、涙がボロボロボロボロ出てきて。でも何が悲しいか、何がつらいか、わからない。ただもう涙を流しながら遺体を埋めるための溝を歩いて、声も出ない。恥ずかしい話なんですけど、僕も狂っちゃったんです。


石井   あぁ…


大谷   実は茨城にある僕が副住職を務める「潮音寺」というお寺も、液状化で大変だったんですが、誰が住んでいるわけでもないし、生活がかかっているわけでもない。そういうこととはレベルが違っていたんです。


石井   僕の知り合いも、親戚のほとんどが今回被災した地域にいて、駆けつけたらしいんです。でも結局17人くらいいた親戚のうち、ほとんどが流されてしまって、2遺体だけ確認ができたと。遺体を捜すために、600体くらい見たらしいんですが、もう人格が変わってましたね。会った瞬間にエネルギーが違うんです。いつも軽いやつで、言っちゃ悪いけど乱暴な雰囲気な人だったんですが、全然違うんですよ。顔の相が。


大谷   今回は魂を変えちゃう。僕も普段飲まないお酒を飲んで、2週間くらい毎晩深酒したんですよ。それなのに2時間くらいで目が覚めちゃうの。でも、自分にできることなんてわかってるわけですよ。


石井   そうですよね。


大谷   先程話した被災した友達を助けに行っていたら、彼の友達が、こういう状況だったんですね。ご主人は早死にしちゃって、その奥さんが小学生の2人の子どもを育てていて、お父さんとの4人家族だったと。それで今回、自分だけが仕事に行っている間に、この3人が津波にとられちゃうんですね。しかも長男の遺体はまだあがっていないらしいんです。


石井   わぁ…


大谷   そしてその彼女から、僕の知り合いにメールが来るらしいんです。「今日も遺体安置所を回ってます。希望と絶望との隣り合わせです。子どもの遺体に会えるかもしれない、でも会ってしまったらおしまいだから」と。おそらく僕の知り合いは多分“徹奘さん会ってやってくれよ"という意図でその話をしてきたと思うんです。だけど僕は会えなかった。


石井   わかる…わかりますね。


大谷   逃げるように帰ってきたんですよ。そうしたら今度は僕の友達のところに、おばあさんが津波で流された人からこういう相談が来たらしいんですよ。「おばあさんは生きている時にすごく信仰心が強かった。仏壇もお参りしてたし、お寺にもたくさん寄付をしていた。そんなことをしているのに、なんでこんな死に方をしなきゃいけないんですか。神も仏もないんですか」って。


石井   それに答えるのは…


大谷   帰ってきて2週間くらいは、僕完全に頭がとんじゃってたんですけど、最近ようやく答えが出てきたんです。僕の今までの48年間の人生を通して、これ以上の答えは出ないと思うから、それを持ってまた被災地に行くんですね。多分無力だと思うんですけど。その答えを話す前に、一つ聞いておいていただきたいことがあって。僕は高田好胤という人が好きで、薬師寺の小僧になって、誰よりも高田みたいになりたいと思っていたんです。おっしょさんは、戦争の経験者なんですね。仲間をたくさん戦地で亡くしてるんです。それでパラオやインドのインパールなど、世界中の第二次世界大戦の慰霊地へ、慰霊法要というのに行くんですね。そこへ僕もくっついて行くんですが、おっしょさんの他に、例えば旦那を亡くした、奥さんを亡くした、子どもを亡くしたというような、家族を亡くしている方々と行くんです。炎天下の40度を超えるようなところで、頭の皮がめくれても、2時間も3時間も泣きながらお経をあげているわけですよ。僕も一所懸命お経をあげてるんだけど、実際は戦争の経験がないから、やっぱり皆さんとは温度差があるんです。そうすると、おっしょさんは汚い言葉を使わない人だったんですけど、そのときだけは忘れもしない「ちゃらこい」という言葉を使って僕にこう言ったんですよ。「徹奘な、戦争で亡くなられた方々は、私たちのあげる、ちゃらこいお経で慰められるような死に方はしていない。でも何かせずにいられないからお経をあげてるんだ」って。出来ることなんて知れてるじゃないですか。お金を出したって、無尽蔵にお金が出るわけじゃない、かといって原発に行って頑張りますといったって、能力も何もない。


石井   そうですよね。ほとんどの日本人が感じたのは、自分の無力感というか虚無感というか…。例えば原発が54基も55基もあるとは思ってもいなかったし。


大谷   思ってなかったね。


石井   そういうことから始まって、とんでもないことが今起こっているということだけはわかるんだけれども、いろんな情報がやたらと入りすぎて、なんだかわかんなくなっちゃった。


大谷   何が正しいか。


石井   要するに自然災害と人災とが同時に、巨大なものが2つ一度にきちゃっているような状況だと思うんですよ。この間コンサートをやったんですね。いつものように幕が開いたら、最初シーンとしちゃってるんです。ワーッてならないんです。1曲目、2曲目、3曲目…と清々しい曲を、とにかく青空を感じたり、風を感じる曲ばかりを唄っていくことで、そのうち少しずつみんな元気になっていって、ようやくコンサートを観る気になってきて、だんだんと高揚していくんですけど、3曲目くらいまでは、心ここにあらずなんです。それが伝わってくるんです。


大谷   そうでしょうね。


石井   エネルギーが、いつものコンサートじゃないんです。


大谷   楽しみたいけど楽しめない。


石井   その時に初めて、観ている人と俺の感覚が同じなんだと気がついて。自分の名前があるからこういうサイトを作ったり、いろんなことを発信したりしなきゃと思ってやってきたんだけど、あまりにもとてつもない経験をしてしまった人の目の前では、どんな言葉も無力なんだと。


大谷   そう、言葉はね。僕も法話ができなくなったんです。人の前で法話をしたくないと思ったのは、おっしょさんが亡くなった時以来ですから、14,5年ぶりですよね。前は悲しみでできなかったんですが、今は言葉の限界性のためにできないんです。


石井   わかりますね。


大谷   いかに人間の言葉というのは未熟なものなのかと。それはすごく思いましたね。どうしたらいいんだろうと模索している間に、「徹奘さん、もう死人を供養するための坊さんではないよ」と言われたんです。


石井   そうかもしれない。


大谷   「だから、あんたに早くきてほしいんだ」って言われたんです。行こうと思えばすぐにでも行けるんですよ。だけどビビってるわけでもないんだけど、僕が行って相手に“徹奘まで凹ませちゃったんだ"と言われたら、僕のカラーがなくなっちゃうじゃないですか。でもたとえ言葉は無力でも、僕は自分の中にあるもので対応する以外ないんですよ。だってそれしかできないんだもん。


石井   そうなんですよね。俺もね、考えて考えて、やっぱり結局、歌を歌って皆を力づけるしかないというところに戻ってきちゃった。結局自分のできることをやって、いくばくかの人達が幸せになってくれるなら、自分にはそれしかできないし、それ以上のことをやれといわれても、おそらく俺にはできないし。その限界をまず自分でわからないと。


大谷   そういう意味では、今回の地震は日本人にとってチャンスだったと思うんですよ。今までは皆豊かで、いくらでも自分の可能性や選択肢を持っているように、思い込んでいただけ。だけどこれだけ追い込まれた時に出てくるのは、本当の自分ですよ。おっしょさんがよく言っていました。「人間は本当に追い込まれた時に、その人の本性が出んねん」と。だから僕は今回ショックでボケた。あ、これが俺の本性かと思ったんです。若い頃は一人でずっと切り開いて歩いていった、何を言われても踏まれても歩いてきた。それである程度になってきて、今まで通じなかった事が通じるようになっちゃったら、いつのまにか怠けてたんだよね。今は座布団を敷いてもらえるような自分になっちゃって、いつのまにか “大切なものを伝えたい”とか“自分がやりたい”とかいう気持ちをすっかり忘れていた。


石井   映画監督も、周りの人達がいろんなことを言ってくる映画監督の方が、そういう時期の方がいい映画ができるんですよね。どんどん大先生になってしまって、イエスマンばかりが周りにいてしまうと、逆に面白くない映画になってしまう。だから巨匠と言われたらお終いだよと、ある監督と話した事があるんです。確かにそういうこともあるだろうなと。