SPECIAL3 〜特別企画3〜

Chapter6. 自分が恥ずかしくない先祖になるために、未来を考えていく

石井  大谷さんとこうやって話していて、なんかちょっと楽になりました。自分では負のエネルギーを出していないつもりでいるのに、いざ自分の書いたものを読んでみると、なんでこんなにネガティブなことを書いているんだろうと。自分でもわけがわからずに書いていたりするんですよ。


大谷  この前ね、僕のスタッフに、めちゃくちゃ言われたんです。今まで僕はどちらかというとブンブン丸で、全然関係なしで進むんですね。今回の震災で、僕が副住職をしていた茨城の潮音寺はつぶれてしまったけど、そんなにショックはないと言ってたんです。だけど仙台から帰ってきたら、何もかもを虚無的に感じてたんですね。自分の命とか、人間が作り上げた文化だとかに対しても、虚無的に。そうしたら、スタッフに「背中ちっちぇえ」って言われたの(笑)。自分では本当に辛くないんですよ、苦しくないつもりなんだけど、それが身体の中にわからない毒素がまわっちゃっていたのか、そう言われた。だけど僕にとってこれは、すごくいいチャンスだったんです。正直いうと飽きてたんです。今までは自分で机を出して自分で座布団を敷いていたのが、今はちゃんと座布団まで敷いてある所へただ上がっていく。発言も、今までは通らなかったものが通るようになっちゃう。薬師寺というお寺も素晴らしいお寺なんだけど、薬師寺という枠にも、正直どこか飽きていたのかもと。だから僕は今回、「ちっちぇ」と言われたのは、多分、自分を使いきってやせちゃっていたのかなと。心が本当にエンプティになったんですよ。


石井  僕は2007年の「PRESENT TREE LIVE」で、中学校ぶりくらいに薬師寺に伺って、東塔の内部を見せて頂いた時に、薬師寺というお寺を感じたわけじゃなくて、時間を感じたんですよね。“オーッ、この時間を守ってた人がいるんだ”って。おそらくそこには名もない僧もいっぱいいたでしょう。だけどそれをずっと守ってきたこのエネルギーはなんなんだろう?と。それが不思議でたまんなかったわけです。だって無くなって野っ原になってたっておかしくない。


大谷   そうそう。


石井   まだこの今の時代に残っているというのが、時間が、とにかく不思議でしたね。面白いと思って見ていたんですよ。きっと僕なんかは何も勉強せずにポッと行ったから、逆にそういう根本的なものを感じたのかもしれないですけど、驚きましたよね。


大谷   あの塔は、嫌ってほど人を見てきていると思うんですよ。だから強いんだよ、多分。


石井   あれは崩せない何かがあるんですよね、きっと。


大谷   やっぱり力が働いているんだと思います。だって兄弟で生まれた西の塔は焼けて無くなっているし、親である金堂も焼けてるんですよ。すぐ横にいる兄弟の回廊だって焼けているのに、東塔だけが残ったんだもん。だけどね、それも今回のことと一緒でね、東塔が一つ残ったおかげで、薬師寺全体が復活したんですよ。だから続けていたら必ず答えが来るよ。


石井   1000年くらいかかってるんですもんね。すごいことですよね。


大谷   悪いけど自分達で答えを出そうというのは、我欲なんですよ。自分で答えが出ないということがあって当たり前だと思うよ。所詮限度があるもん、人間は。自分のことを大きく思っているかもしれないけど、また大きく思いたいけど、知れてるんです。


石井   そうですね。


大谷   でね、いつのまにかちょっと立場があるとえらぶって、何でもわかってるような顔をして、わかっているような顔をしなければいけなくなって、生きる事も大切なものも何もわからなくなって、結局ドボンなんですよ。だからそうなる前に、感じなさいと、教えてくれたんだと僕は思うんだよね。だから僕はこの先、自分が先祖として恥ずかしくない先祖になるために、先輩方から頂いたものや未来の事を考えていくしかないんじゃないかなと思って。答えなんてないですよ。人間はなぜ生まれてきた、なぜ死ぬ…なぜ、なぜと並べて答えが出るんだったら、人類にはすでに僕ら以上に賢い人達がといたはずですから、答えが出ているはずですよ。答えが出ないということは、多分答えは無いんだよ。子どもに勉強を教えて、わかった?って聞くと。わかったって。何がわかった?って聞くと、わからないのがわかった。って(笑)。僕それ答えだと思いますよ。


石井   そうですよね。人はなんとかその問われたことに答えてあげようとする、変な努力をしてしまう動物ですよね。


大谷   それは評価なんだよ。


石井   おごっていることと同じなのかもしれませんね。自分の範囲を認めるというか、俺たちにはそこまでしかできない、所詮はそのくらいの動物なんだと思っておいた方がいいかもしれないですね。


大谷   ちっぽけで弱い自分であるという自覚と同時に、その一人の人が世の中を変えるんであるという、その両面性の可能性を、現実と可能性を抱えて生きていかないと。人間は未来が感じられなくなったら自殺しますから。


石井   いろんな人の意見を聞けば聞くほどノイローゼみたいになって、自分は被害者でもなんでもないのに、なんか被害者になったような気持ちになって。変な夢ばっかりみちゃって、夜寝られない。いやに正直になったな、俺は。みたいなね。


大谷   それが、本性ですよ。絶対そう。だから僕は今回、言葉なんて通じないと思いながらももがいて、出てきた言葉を持って行くけど、何しに行くかといったら、未熟な自分を探しに行こうかと思って。


石井   それは本当の勇気かもしれないですね。本当にそこに生活している人にしてみたら、1日1日が勝負でしょうからね。言われた事があるんです。「人の寝息だけが聞こえて、真っ暗な状態がどんなに怖いかわかりますか?」って。それを聞かれて、想像できない自分がいるわけです。そんな経験はしたことないし、俺は何も言えないなと。「2日間何も食べられなくて、炊き出しで並んでいた時に、前の人で炊き出しが終わって、ああ、もう一日食べない日が続くのか、と絶望を感じたことがありますか?」「ダンボールの端っこを見つめながら、どんな思いで眠るかわかりますか?」と言われても、それも俺は感じた事ないな…って。


大谷   その人達もそういうふうに言ってぼやかないと、自分が支えられないんですよ。同じ事はできないんだから。人間は別なんだから。


石井   僕も最終的には、そのことについては、聞くだけしかできないなと。


大谷   ボヤキはボヤキとして聞いてあげたらいい、それで背負っちゃうと自分をつぶしちゃう。


石井   本当にそうですね。


大谷   僕は人の悩みを聴くのが仕事の一部じゃないですか。中途半端な答えは出せないですよね。以前インターネットで“あなたの悩みを聞きます”みたいなのをやっていたんですね。そうしたらね、とんでもない質問が来ちゃうわけですよ。答えを出せなくて、半年くらいになってやっと文字にできそうだと思って書いたら、来た返事に「答えが来ないので、裏切られたと思ってました」と書いてあった。俺は毎日その人の悩みを背負って、半年間考えたんです。自分だったらどうなるかという同じパターンを当てながら。半年かけて一所懸命考えたことに対しての返事が、「裏切られたと思ってました」だった時に、その人の悩みは俺の悩みじゃないから、俺は背負うのはやめたと思ったんです。その時から人の悩みはほとんど聞かないんです。特にインターネットなんかでは絶対受けない。顔を見て話をしないと、質問してくる人も顔が見えないと美化してくるから。


石井   そうですね。結局うわべの、表層の投げ合いになっちゃうんですよね。僕は米米CLUB時代に、手紙をもらったんですね。大体は「てっぺいちゃん、大好き!」みたいな感じだから、そんな感じだろうと思って読んでいた一枚に、「私は7人の男の人にレイプされました。この傷が癒えなくて、米米CLUBを見ても、男の人がいっぱいでつらくて、怖くてコンサートにも行けないんです。そういう人にも聴ける歌を作ってください」って書いてあった。その時のボスに「こんな手紙がきちゃったんですけど…俺は女でもないから、レイプされる側の心情もわかんないし、どうしましょう」って言ったら「無視するしかないよ」って。「いちいちその度に返していたら、お前駄目になっちゃうよ。そんな歌作ったらおしまいだよ」って言われて、そりゃそうか、と。抱えきれないですよね。


大谷   石井さんは、すごく物事に対して感性があって、真摯に考えられる。でもそれ、まともにいっちゃったら、自分がつぶれちゃいますよ。


石井   その時は若かったから、真剣に「何とかしてあげましょうよ」みたいな話をして、お前どにうかしちゃったの?って言われたりして。今はこの年齢になってるから、多少の事は大丈夫だろうと思ったけど、結局やっぱり、こんな巨大なことに対しては、一人の力なんて何もできない。かといって自分の本心を掘り下げてみると、できるわけがないと思っている自分もいるわけですよ。だからそんな覚悟でこんなチャリティーなんて絶対やっちゃだめだなって思って。


大谷   ありのままで、日々やるしかないんですよ。


石井   コンサートをやって、一番気持ちのいい自分で、一番気持ちいいなと思っている歌を歌って、気持ちよくなってもらって、帰ってもらうしかないのかもしれませんね。


大谷   僕は薬師寺で訓練したおかげで、月火水木金という感覚がないんですね。休みという感覚がないんですね。365日。


石井   俺も同じですね。


大谷   365日、月曜日の午前中という考え方で。だけどね、普通の人は月曜から金曜まで一所懸命やって土日を休むじゃないですか。そういうのもわからなかった。でも僕は今になって、やっぱり人間には心を解放してやる事も必要なんだって感じるようになったんですね。僕は今、何をしているかといったら、舞台なんかを見に行くようにしているんです。昔から好きで見に行くんだけども、前はあの舞台はどうだとか、俺だったらこうするとか言って、悪いところを探したり、自分の次の日の舞台のための材料を探しに行ったりしていた。だけど今は全然違うんです。そこに行ったら、馬鹿になろうと思って。人が出てきたらワーっと言って、手を上げてと言われたら手をワーっと上げて、普段のものをフッと忘れる事によって、一度仕切り直して、もう1回やるということをしなきゃいけない。石井さんのコンサートに行っても、皆踊ったり、“てっぺいちゃーん!”ってやってるじゃないですか。そういうことに興味がなかった僕のような人間からすると、“この人達の人生において、これはどのような重要な位置にあるんだろう?”と見ていたわけですよ。僕はそういうのが必要なかったから。だけどあの人達も、限られたお給料の、限られた命の時間の中で、その時間を楽しんでいるんですよね。石井さんは、歌を唄っていて幸せ、僕も坊さんという道を選んで幸せなんですよ。自分の道でやっている人はいいですよ。だけど普通の人は、ほとんど自分の欲しているものには出会えない。そうすると、やらされている、生きなきゃいけないという日々の中で、開放する時間を求める。石井さんが、思い切って歌を歌って、その瞬間だけでもみんなが日常を忘れる時間がもてる、それがもう、僕は石井さんの持っておられる一番の力だと思います。


石井   たとえば僕は、オフが2日くらいあると、何をしていいかわからないんです。どう時間を使ったらいいんだろう?と。“休息”と“休憩”は違うじゃないですか。俺は“休憩”はしているけど、“休息”はしていないんです。“休憩”って、次の事を待っている時間なんですね。待ち時間なんですよ。待っているということは休んでいないんですね。人間って、息を止めるくらい休む、頭の中を全部空っぽにする、そういうことができないと、続けられないだろうなとは思うんですけど。


大谷   女房に聞くと、僕はすごく寝言を言うらしいんですね。返事をしているらしいんです。“寝ている時くらいは仕事をやめたら?”って言われるんだけど、そのくらい一所懸命やってきたんですよ。悪いかいいかはわからないけれど、そう訓練してきたんです。でもやっぱり身体だって、50になると老眼が出てきたり、いろんな不調が出るじゃないですか。その時に、休んでいるのと、遊んでいるのは別だと思ったんです。日曜日になるとゴルフをしてる人を見て、暇な人だなと思ってた。だけどやっぱりそういうことを忘れるためのものを与えないと、人間って長続きしないんだろうなと思うんですよね。


石井   俺も走り続けてきた人生だったので、気が付いた事があって。オフに家族で海外へ出かけても、休むのが不安なんですよ。海がどんなに綺麗だろうが、最初の1日だけです、感動しているのは。もう次の日になったら、“あれどうなってる?”とか“あれ困るからあの丸みはもう少しこっちに変えて”とか“今FAX送るから”とか言って、必死になってホテルの中を飛び回ったりしているんですよ。おかしいよ俺…って。


大谷   だけどそれを否定してしまったら、石井竜也というお方はアウトかもしれませんね。人間は養ったものはそう簡単には変わらないですよ。


石井   変わらないですね、本当にそう。


大谷   だから僕は結婚して20年になるんですけど、まともに女房とご飯を食べたことなんてほとんどないんですね。結婚してすぐ子どもを授かって、女房は子育てで忙しくて、僕は自分の夢を追いかけて家に帰らないという状態で。だけど最近は、出かけたら、まず電話を女房に渡す。で、もう何も考えない。考えないんだけど、それは表面だけで、訓練してないからずーっと働いているんです。だけど正直ちょっと間違っているとも思ってるんですよ。今日1日休んだからって僕の人生そんなに変わらないだろうということくらいは自分に言ってやりたいと思いますよ。それと神経質な人達はね、評価というのが常に強く働いていて、ちょっと気がつくと、こうしたほうがもっと評価が上がる、こうするともっと人から認めてもらえるとかずっと思ってしまう。芸能界でもそうじゃないですか。みんな競っているんです。お寺の中だって、特に薬師寺みたいなのは、全員が戦士みたいなお坊さんの集まりだから。働いて働いて働いて。だけど、おっしょさんは擦り切れて死んでいったし、親父も擦り切れて死んでいった。そんな人達が僕の憧れだから、僕もきっと擦り減って死ぬんだろうけど、ただ思うのは、与えられた命に対して一所懸命生きることはいいかもしれないけど、命をもっと楽しむとか、与えられた命を豊かに自分に膨らませないと、と。


石井   そうなんです。おかしいのは“人を楽しませよう”とか思っているわけですよ。それは大きな間違いで。人は楽しませてもらって楽しんだりしないんですよ。やっぱり心からその人が楽しんでいるのを見て、初めて楽しめる。だから“楽しませよう”なんておこがましいんです。


大谷   ホント、ホント。