SPECIAL3 〜特別企画3〜

Chapter4. 「知力」「体力」はあっても、「心力(しんりき)」がない

石井  福島県がさらに悲惨なのは、同じ避難所の中に原発賛成派だった人と反対派だった人がいるわけですよ。農民はやっぱりそんなものを建てられたらば、土壌が腐ってしまうとわかってるんです。だから大反対したんですよ。賛成派だった人達は、避難所内でも居場所がない。確かに津波に持って行かれた町も可哀想だけど、この静かなる騒乱に巻き込まれている人達も可哀想なんです。


大谷  経済の発展のために、ものすごい量の自然を破壊して、その人達が持っていたものを壊すわけじゃないですか。八ツ場ダムもそうですよ。しつこいようだけど、結局人間の便利と贅沢と発展、発達の錦の御旗で、僕らは人のためと言いながら、我欲をやってきちゃったんですよ。


石井  そうなんですよね。


大谷   我欲以外の何物でもない。僕は仏教の言葉で、「尽己(じんこ)」という言葉がすごく好きなんですね。“己を尽くす”と書いて尽己。人間は、生まれてきて死ぬじゃないですか。1回の人生で誰も変わってくれないですよ。だからこそ私達はそれを尽くすから、尽己なのね。でね、今の日本人には、常に自分さえ良ければいい、今さえ良ければいいという我欲がある。この我欲を尽己に変える方法がないかと思っていた時に、気が付いたんです。石井さんはお父さんとお母さんの名前はわかりますよね。そのお父さんお母さんのお父さんお母さんの名前もわかるでしょ。でもその先はわからない。その先をひと固まりに「先祖」と言うんですよ。先祖があって間違いなく僕らは自分になったんです。僕らは必ず死ぬけれども、すぐには先祖にはなれない。子や孫は自分のことを先祖とは呼ばないから。だけどいつか先祖と呼ばれる人となって、そして子孫が生まれてくるんですよ。そのときに、今僕らが、今さえ良ければいいと言って、結局原発をやって、我欲だけをやりすぎた結果、次の世代もを駄目にした。せっかく祖先が岩手県のここから先に住んじゃだめっていったのに、自分だけで答えを出そうとしたから駄目にした。この自分より先に生きた人達を敬うことを“敬上”といって、見えない未来を敬うことを“慈下”という。“敬上慈下”というものをもって自分を生きる。たとえばマグロが好きだからって、マグロをとり過ぎちゃうと子孫が食べられない。地下資源を全部使っちゃうと地球が壊れる。人間は親になって初めて、子どものために身を削るよね。


石井   そうですね。


大谷   今まで1万円あったら全部自分のために使えたのに、子どものために残すようになる。それと同じで、顔や名前や声が聞こえる人を相手にするんじゃなくて、その先の全く影響力を与えることができないような人達のために、どんな生き方をしたらいいかを考える。僕らはここで我欲をやっちゃったんだけれども、もう一度ここで考え直して、先祖と呼ばれる人になった時に、原発の問題も、自然破壊の問題も、僕らが子孫のことまでインクルードして考えるべきなんです。僕らが今幸せなのはなぜかというと、先輩達が頑張ったからです。僕らはつい、今の幸せは今の自分の努力によるものだと思ってしまうけど、全然違うんです。戦争の時にものすごい数の方が亡くなってくださって、僕らの環境を作ってくださって、その遺産で僕らは生きてきたと思う。でもその遺産を今、徹底的に使いつぶしてますよね。そうするとどうなるかといったら、今の時代だけで幸せを使いきっちゃって、僕らからこの先の世代の幸せが無くなっちゃう。祖先が作ってくださったものを今度僕らは子孫に伝えていかなくてはならないんです。


石井   今の生き方、例えば東京なら東京の生き方を見ていると、異常だと思うんです。異常なほどに働いている。でも欲のために働いているわけでもなく…それをやらないと、ここにいられないから働いているんですね。


大谷   今、子ども達が本を読まないでしょ。それは子ども達が本を読まないんじゃないんですよ。親たちが本を読ませないようにしてきたんです。日本人は何がおかしくなったか。この前も大きな会社に行って、あなた達に夢はありますか、ある人は手を上げてくださいっていったら、400人のうち30人しか上がらなかった。更に学校だとほとんど上がらない。僕は今、被災地で一番無くなったものは夢だと思うんです。夢は多分イメージって訳すんですよ。例えばこんな家を持ちましょう、こんな家庭を持ちましょうっていうイメージ。大きな夢なんか持たなくてもいいんだけど、今日生きるイメージすら持てなくなっちゃったのが、今の僕らなんです。残った僕らが強いイメージを持って生きていかないと、だめになっちゃうんですよ。だから皆さん方に笑顔で生きるイメージをしてほしいんです。


石井   先日、日比野克彦さんと対談がありまして、彼は最近、ブータンに行かれたそうなんです。「世界で一番幸せな国」だと言っている国を見てこようと思ったと。世界的に国の経済規模を測る指標であるGNPも、ブータンの首長に言わせたら、GNPよりGNH(=Gross National Happiness=国民総幸福)が大事だという考え方なんだそうです。「こんなにきれいな空気があって、こんなに豊かな日差しが降り注いでいて、これ以上のものが何か要りますか、子供がいる、愛する妻がいる、こんなにすばらしいものはない」と言い張ってるんですって。


大谷   あの国だけですよね。自分の国の中のレベルに、幸せ度というのが入っているのは。


石井   確かに、会う人会う人ニコニコしているらしくて、何だかやっぱりここは幸せそうだなと、10日のつもりが2ヶ月もいちゃいました、って言ってましたけどね。何をいっぱい持っているから幸せかとか、豊かであることの価値観が日本とは全く違うんですよね。


大谷   その価値観が変わった理由は、日本が戦争をして物がなかったことですよ。人間って単純で、物がない人間は、物を持ったら幸せになると思ってしまうんです。金がない人間は、金を持ったら幸せだと思ってしまう。だから物と金に走ったんですよ。僕は思うに、人間というのはそれぞれもってきた遺伝子の心があるじゃないですか。それを種だとすると、環境という名前の大地に、種を入れるんですね。もともと持っているもののことを仏教で「本有(ほんぬ)」といって、新しくここにインプットされていくことを“新たに香りを薫じる"と書いて「新薫(しんくん)」というんですが、この2つが種のもととなって、そこからその人の言葉や、その人の行為が出る。そのときに、心の訓練をしないで、見えるだけの言葉や、行為だけにつられちゃうと、ものすごく苦しくなってしまうんです。


石井   基礎体力もないのに、俺は喧嘩が強いからと、急にプロレスラーとプロレスをするようなものですよね。あの人達は、骨も折ったりして、命をかけてやっているわけですよ。そういう人に、ちょっとした力自慢が勝てるわけがない。頂点の光っているものばかりを求めて、その人がなぜそこまで行ったかの過程もわからぬまま、頂点だけをすぐ得ようとする、いいとこどりをしようという気持ちがね、やっぱり欲だと思うんです。


大谷   お経には、人間がまともに生きるためには3つの力が必要だと書いてあるんです。それは「知力」「体力」「心力(しんりき)」。日本人には、知力も健康な体もあるんだけど、心力がないんですよ。心の訓練をしていないから、追い込まれたときに心が出てこない。


石井   日本では1年間に3万人近い人が自殺をしているんですよね。今回亡くなった人達の数と同じくらいなんです。これは異常ですよね。


大谷   異常ですよ。


石井   しかも、こんな小さい島国ですよ。そこに50個以上の原発を作って、超大国に対して肩を張っていたわけじゃないですか。国土の広さと人間の生き方と同じとは言いませんけど、やっぱりこういう島国で生きている生き方と、大陸で生きている生き方は違うと思うんです。全く違うはずなのに、日本人は同じ生き方を選んじゃった気がするんです。


大谷   それはやっぱり、戦争でアメリカを親ににしちゃったところが大きいですよね。僕は犯罪者とたくさん付き合っているけれども、人間は環境で変わっちゃう。


石井   そうですね。


大谷   今テレビを見ていても、賢い人たちの集まりですよ。容姿を見たってきれいな人の集まりです。だけど僕は今、日本人に「心力」が足りないと思う。心に栄養がないもんだから、いい言葉いい声なんて出てくるわけがない。種がやせちゃってるんだもん。


石井   そうですね。


大谷   僕は自分にはものすごくプライドをもって生きてきたけれども、今回うちのめされた。というのも、行動を行おうと思っても、種に力がないから、ものすごい固い土の中に埋められてしまったら、土を破る根性というか、力がないんだよ。


石井   80年代のころですかね、スポ根とかを馬鹿にしながらやってきたじゃないですか、あまりにも真剣にやっている人間を馬鹿にしすぎたんじゃないかなと僕は思うんですよ。そのときに失くしてしまったものって、結構大きかったんじゃないかなと。


大谷   人間はね、一度根性を入れて生きてきた人でも、甘いものを吸っちゃうと戻れない。


石井   わかりますね。


大谷   だから高校野球でも大学でもそうだけど、運動でものすごい秀でた人が一度甘い汁を吸っちゃうと、もとには戻らない。


石井   ロスタイムに1点入れられて負けちゃったドーハの悲劇も、残り数秒でも勝ってやるという、ああいうのを根性というんでしょうね。


大谷   でもあそこで負けたからこそ、同じ轍は二度踏まないと思って、みんなマラソンでも42.195キロ走った後で、もう42.195キロ走るくらいの根性でやるようになったんです。コケることが悪いことだとは僕は絶対思いません。仏教の世界では、苦しみを受けていることを“代わりに苦しみを受けてくれる”と書いて「代受苦(だいじゅく)」と言うんですが、今回僕は、亡くなられた方に対してはものすごく申し訳ないかもしれないけど、その「代受苦」を受けてもらったと思っているんです。だから僕らは、自分の子供たちに同じ苦しみを合わせないために、これを伝達者として伝えていく。それが俺の役目だと思うんですね。


石井   今まで、空也や空海、最澄と、いろんな方がいたんでしょうけど、あの方達がなぜあそこまでして日本中をまわりながらいろんなことを説いていったかというと、昔は死というものが結構近かったんでしょうね。


大谷   近い。近いですよ。


石井   だから自分の子孫のためにも、愚かしいことはやめてくれと説いていったんです。


大谷   飢饉と氾濫。自然災害。もう、先輩方の伝記を読んでいると、たとえば、京都の町が遺体で溢れるなんてことはいっぱいあるわけです。


石井   そうなんですよね、あの京都が。


大谷   それだけ死が近いと、それだけの宗教者であっても越えられない政治的な流れが絶対あったと思うんです。そこで何を考えたかといったら、来世を願ったんです。今の世ではもう救われないと、来世を願った。だけど僕は来世を願う仏教者ではないんです。今、今日、与えられた命をどうやって幸せに受けてとめて生きていくかということを伝達する。


石井   今の人にはそれを言わないとだめですね。遠い未来のことを言われても、今の人にはわからない。


大谷   イメージがないから。だから僕は今度行くときには、その苦しみを受けた人達のことを見ながら、その苦しみを無駄にさせないように、僕らがめいっぱい与えられている今を生きるということを植えつけるしかない。あなたは辛いかもしれない、苦しいかもしれないけれども、亡くなった人から見たら、命あるじゃんって。命がなくなったら何もないんですよ。人間だけなんですってね、過去のことを思えて未来をイメージできるのは。チンパンジーと人間の遺伝子の量は1.25%くらいしか違わないんですって。その1.25%が、過去と未来を描けるか描けないかなんです。もしあなたがここで描くことをやめてしまったら、マイナスのことしか描かなくなったら、あなたの周りにはマイナスしか育たないし、未来も無くなるよって僕は言おうと思ってるんですね。


石井   未来の自分のもっといいイメージができていれば、自殺しなくて済むんですよね。


大谷   でも今自殺する人の中の多くは病苦なんですね。だけど病苦以外で死ぬ、人間社会において死ぬようになってきちゃったでしょ。これはすごく問題だと思う。たとえば介護殺人なんてあるじゃないですか。僕も介護をやっていたからよくわかるんですけど、死んだほうがましじゃないかなって思う時…


石井   あります。殺人をやっちゃいけないなんてもちろん当たり前なんだけど、そんなことを言えるのは、そういう立場になったことのない人が言えるわけで、本当にすさまじい家庭環境というのはあると思う。それを人を殺したからといって、すべて殺した人が全部悪いのかというと、俺はそうでもないような気もするんですよ。


大谷   そうですね。


石井   ここまでされたらば、自分の身を守るために殺っちゃうかもしれないということもあるだろうなと思うわけ。だから人を殺した人が全て悪いと言う前に、もう少し考えてみても。それこそ「心力」ですよ。心力で物を考えたらば、もう少し慈悲があってもいいんじゃないかなという気がしますよね。