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GROUND ANGEL 2002-2011の
活動内容はコチラ
REPORT 〜ご報告〜
「沖縄・希望21(仮)」計画発表・記者会見
「MIND from MIND基金」の
寄付先の一つである「沖縄・希望21(仮)プロジェクト」が、
この度、福島の被災児童のための保養センターを
沖縄の久米島に設立することとなり、
その「計画発表・記者会見」が
3月30日、現地の久米島にて行われた。
久米島は、那覇から飛行機で30分、
東洋一といわれるサンゴ礁の白浜などの美しい景観を有し、
絶滅危惧種なども多く保護されている、大自然に包まれた島である。
今回、保養センターの建設場所を探し、
さまざまな土地を視察されてきた
このプロジェクトの発起人である広河隆一氏が
「初めて空港に降りた時に、その空気感と、人々の雰囲気に
安堵に包まれるような気がして“ここなのかな"と感じた」
という久米島で見つけたのは、
高台にある、かつて陶芸工房として使われていた施設。
立派な陶芸の窯はもちろん、
宿泊できる大きな部屋やキッチン、お風呂、
そして作品を展示するギャラリーなどもあるこの施設。
ただ現在は、水道・ガス・電気などのライフラインも
断たれてしまっているため、
6月~7月からの子ども達の受け入れスタートを目指し、
今から改修を進めるという。
そんな久米島の美しい海を望む高台にある施設をバックに
行われた会見には、広河隆一氏とともに、
受け入れる側の代表として久米島町の平良朝幸町長、
そして支援者を代表として石井竜也が同席した。
まずは広河隆一氏より、
保養センターの意義と、その設立をこの地に決定した経緯が説明された。
「チェルノブイリと同じようなことが、まさか自分の国で起こるとは思いませんでした。25年前にチェルノブイリの事故が起こった後、私達はすぐに“チェルノブイリ基金"を作って支援を始めましたが、それには2つの柱がありました。1つは甲状腺がんになった子ども達を助けるための、早期発見に向けての医療支援。そしてもう一つはベラルーシと日本とドイツの3つのNGOによる保養所“希望21"の設立です。ベラルーシとウクライナの2か所に作った保養所には、汚染のひどい地域に住んでいる子ども達を、1カ月交代で住まわせました。その子たちは、まるで今の福島と同じように、家の庭も汚染されていて、自由に遊べない状況でした。未だに郡山には、15分間外に出る事も禁止している幼稚園があるそうです。子ども達のストレスは、病気を発症することにもつながります。医者ではない私達にも、その子たちの環境を変えてあげたり、希望を持たせてあげたりすることはできます。これから我々がやっていかなければならないのは、ストレスからの解放、栄養のある食べ物の摂取、楽しんで遊ぶことの手助けです。それによって抵抗力が増し、体力が上がり、病気の発祥が抑えられます。今回の事故の後、まず私達は放射能のない食べ物を食べられるようにと、福島に放射能測定所を6カ所ほど作りました。しかし、いつまで経っても放射能の多い場所で子ども達が住み続けている状況に、私達がかつてベラルーシやウクライナで作った施設を日本の中でも作りたいと場所を探しはじめました。それに温かい気持ちで応えてくださった島が、ここ久米島でした。最高の自然に囲まれた、人々が温かいこの島で、我々のプロジェクトが成功していけば、日本のいろんな場所にも増えて行くんじゃないかと期待しています。この場所を見た時、子ども達が目を輝かせている姿が想像できる雰囲気のある場所に、とうとう出会ったなという気がしました。これからこの場所の改修にかかり、できたら6月か7月ぐらいには受け入れをスタートできたらと思っています。お母さんと未就学児、また教育委員会の方がOKしてくだされば、勉強が止まることが無いように、学校のクラスごとここに来て、そして久米島の子ども達とも、スポーツや音楽を通して交流を図りながら、互いに成長し絆を深めていければと思っています」
続いて石井からは、
自身の故郷・北茨城が、津波の被害だけでなく
今も放射能汚染に苦しめられている悲惨な状況や、
NHK「ようこそ先輩」で出身小学校を訪れた時の
津波、地震、放射能のことに口を閉ざしてしまう子ども達の様子が語られた。
「実をいうと、ここ久米島の自然は、僕の田舎にそっくりなんです。きれいな海が見えて、松があって、ガチャガチャした岩もあって、風もこういう風でした。この風景の中に放射性物質が含まれていることを想像してみてください。どこに逃げたらいいですか? 逃げる場所が無いんです。福島も、北茨城も、以前と風景は何も変わらない。空も緑も綺麗なのに、ガンマ線やアルファ線が飛んでくる、とんでもない場所になってしまったんです。今流されている情報は情報じゃありません。“情"が欠け、たた報じているだけ。“こういう状況だから、こうしてあげるべき"とか、情報には情がないと。そういった意味では広河さんの伝えられていることはまさに“情報"だと思います」
時折言葉を詰まらせながらも、
被災地への想いを訴える石井。
「今回、僕が立ち上げた“MIND from MIND基金"に、僕のファンたちが寄付をしてくれました。そこで集まった約3000万のうちの約2000万を、僕が心から尊敬している広河隆一さんが立ち上げられた、この“沖縄・希望21"に寄付させていただこうと決めました。去年から今年にかけて、いくつかの被災地を回って、僕はこの企画が一番日本で必要とされていると感じています。是非ともこういう場所がもっともっと増えて、これが政治を動かす一つの起爆剤になってくれたら嬉しいなと思います」
そして「MIND from MIND」を代表し、
約2000万円の目録が、「希望21」の設立資金として
石井より広河さんの手に直接贈呈された。
またこの施設を迎え入れることになった
久米島町の平良朝幸町長からは、
次のような温かく心強いお言葉が述べられた。
「東北大震災後、何かできないかということで、義援金を募ったりしてきましたが、福島に関しては残念ながらあまりにも手を入れられてない、と感じていました。我々は南のはるか遠くの島に居て、福島のために、何ができるんだろうかと考えたときに、正直な話、何をやったらいいかわからないというのが現状でした。そんななか、たまたま保養センターを作りたいという話が届いたわけです。皆さんもご存じの通り、この島の自然環境は恵まれていると思います。その中で子ども達が元気に遊びまわったり、勉強したりして、身体も精神的にも健康になってまた帰ってもらうという事に我々が協力できるのであれば、何とも嬉しいことです。全面的に久米島町をあげてバックアップしていきたいと思っております」
またこの「希望21(仮)という施設名。
いつまで(仮)が付くのか・・・といえば、
広河氏いわく、これからの運営スタートに向け、
現地の方の全面バックアップを得て進めていく上で、
最終的には現地の方に名付けていただきたいとのこと。
「いろんな歴史をもつこの沖縄で、島の人達がどう受け入れてくれるかはとても大切。勝手に押しかけてきて作るというようなことにはならないように気を付けなきゃいけないし、ここで子ども達をどういう風に迎えて、何を遊ばせて、ここの文化をどういう風に子ども達に教えるかというカリキュラム作りは、久米島の方に中心になってもらう必要がどうしてもあると思っています」(広河氏)
美しいブルーに囲まれた、
東北・関東から遠く離れた南の島にいると、
放射能に汚染されている地域が、
同じ日本に存在する事が嘘のように感じてくる。
ただ、そんな遠い場所で起こっている出来事を、
人ごとだとは全く思っていない久米島の方々。
彼らのまっすぐな「福島の子ども達のために」という強い想いに、
遠く離れた南の島でも、同じ日本人として
助け合おうとする“ゆいまーる精神"が
心の底から流れていると感じた。
~施設内を視察~
木のぬくもりが温かい施設内。
子ども達の作品を飾れるギャラリーも併設。
特徴ある三角の形をした立派な陶芸窯。
そして何より、お金では買えないこの景色!!
GROUND ANGEL - MIND from MINDでは、
スタートをきったばかりの「沖縄・希望21(仮)」への
支援をこれからも続けて参りますので、
引き続きご協力のほどよろしくお願いいたします。
「沖縄・希望21(仮)」プロジェクト
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/254965444.html
(追記)
4月上旬に、このプロジェクトの正式名が
「沖縄・球美(くみ)の里」に決定しました。
歴史書の『続日本記』に
「和銅7年(714年)に球美の人が奈良を訪れた」と記されており、
「球美」とは、久米島のことだと言われているそうです。
(久米島観光協会ホームページより)。
おそらく今から1300年前に、既にこの地に「美しい」という文字が
付けられていたことからもわかるように、
古の人が美しいと感じた、そのままの風景が
今もなお大切に残されている土地なのだろうと思います。
「沖縄・球美(くみ)の里」
http://okinawa-kuminosato.blogspot.jp/
「沖縄・希望21」会見